何を書いたらいいのか解らない時(T_T) | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

理由をあれこれ探している。

焦っているかもしれない理由。

体調の悪い理由。

何かと理由を探している。

どれだけ複雑でも何かを見つけられる自分でいたかったのだと思う。

 

人生ずっと無理をしていて、

なんなら無理するのが当たり前で、

それでもうまくいかなかったら自分を責めて、

そうするのが当たり前だった。

そうして諦めずに奮起させる努力をしていたんだと思う。

 

そうこうしているうちに、

子どもたちのことがあって、

自分の努力だけではどうにもならないことが頻発して、

嫌というほどそれらを思い知らされて、

気づけば難治性の鬱になってた。

 

その鬱の原因は発達障害にあるのだと言われた。

 

でも、その特性が自分を支えていた、そうして生きてきた。

誰もが疑う事の真理を確かめたくて、

研究の世界に飛び込んで、

それが研究ということも知らずに。

そうして、考えて考えて探求して探求して。

 

そんな特性は、

一般社会では疎まれることなのだと知らなかった。

ここまでされるとは知らなかった。

 

歌をやってみれば、

真摯に真面目に向き合って、

解剖学などをかじるようになって、

やっぱり物理的な筐体というからだのなかで、

どう音を共鳴させるか、振動させるか、

ここちよい振動とは、

振幅とは、

周波数とは、

帯域幅とは、

必死に考えて模索して、実現して、歌唱にして、

それを練習時間に試してみて、

そうしてよしとされたものを集約して本番に挑んでた。

それをウザったく思われるとか、なんて、

そんな二の次な事には全く想いを馳せることが出来ていなかった。

 

でも、それって、

音大の先生や、プロならばやって当たり前で、

素人はそこまでしなくていい、とか、

誰が決めたか解らない厳格な線引きがあって、

その枠に一生ハマれ、と言われているようで。

 

それじゃ、一生、成長が無い。

 

私は、成長しちゃいけないのだろうか。

性別とか、特徴とか、年齢とか、そのようなもので、

制限されるのだろうか。

よりよくなろうとしている努力は、

その制限や制約によって禁止されるべきものなのだろうか。

 

そうして悩んでいるうちに、

訳が解らなくなって、

自分がいなくなって、

毎日をただこなすだけになって、

それは私じゃなくて、

たぶん辛かったと思う。

もう辛いことかどうかさえ、解らなくなってた。

 

それが究極のストレスだったのだと思う。

眉毛の円形脱毛症という形で顕れた。

無意識だったけれど身体がサインを出した。

こんな生き方は、

私じゃないんだ。。。。

 

きっかけは家事だったけれど、

外に出てみた。

いつもいくコンビニ。

主婦になったスタッフさん、

出産でお休みしていたのが先日みたいだけれど、

もう下の子が一年生になったという。

それでも変わらず、お母さんの奮闘を互いにいたわりながらの、

なんのことない会話。

それが救われた。

 

子どもがいくつになっても、

悩みなんてつきなくて、

それは子を案じること。

自分を案じるそれじゃない。

それを理解してもらえる周りがなかった。

これまでの友達にそれはなかった。

自分、自分、の人ばかりだった。

でも、そうじゃなくて、という人が、

なんのことない、近所のコンピニのスタッフさんとしていた。

 

子育ての卒業なんて、

たぶん一生無いんだと思う。

少なくとも私はそう思ってる。

そのことを、

かつて親友と思っていた彼女は、

『DVで逃げられない人みたい』と言った。

どうしてそういう表現をしたのか解らない。

でも、今年新卒の上の子が、

ちょっと距離のある職場に行くために一人暮らしをして、

それをよしとする価値観が彼女にとって唯一無二だから、

その歳になっても、実家暮らしをしている、

私と私たちの子どもたちの関係を、

上のように表現した。

 

なんという極端な思考で、

なんという極端な言葉づかいをするのだろう。。。

 

正直なところ、

私の両親の思考や言葉遣いに彼女のそれらは似ているから、

新卒の時、

私は彼女に引かれるように友達になったのだと思う。

それからずっと彼女が正しいと、

そうなるように現実操作を、

私はしていたのだと思う。

 

いわば、

彼女から離れないことこそが、

『DVで逃げられない人みたい』

なのだと思う。

 

短絡的な人って、

用心深い観察がないから、

再帰的に自分の事をいっているとは、

気づいていないようだ。

 

30年目の真実。

 

そんな何かのタイトルのような表現をすれば、

人は納得してくれるのだろうか。

 

30年分のお別れは、

そう簡単じゃない。

本当は解っていたのに、

気づかないふりをしていたのは、

私自身が、

その別れの真意に、

耐えられそうにないから。

そう思う。

 

生まれもって、

気が弱い私は、

耐えられない事を知ってる。

 

それでも人は私を弱いというだけでバカにする。

弱いと知っている私をバカにする。

気づいていない人がバカにする。

そんな人がマジョリティの世の中。

私は自分を殺さないと殺される。

 

もう嫌だ、

こんな生き方。

私は私の人生を、私の納得するように生きたい。

どんな言葉にすればいいのか皆目わからないけれど、

それなりに言葉を連ねてみました。

 

乱文お許しください。

拙いもので。

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