先の北海道の大地震の後の記事を目にしました。
私自身が発達障害であることのカミングアウトをいまだにためらうので書けませんでした。
もう大人なんだから、とか、いろいろ言われると思っているからです。
今思えばどうしようもない特徴を年齢が来たからどうにかなる、とか、気に掛けるのがもううんざり、と、知識が無く偏見にさらされていた親族のこころも疲弊していたのだと思います。
けれど勇気をもってシェアします。
たぶんきっかけはNHKのNEWSWEBのサイトです。
「北海道の地震の後、家が怖いと言い続ける子どもたちがいる」という(ような)記事を見つけました。(一字一句厳密には合致していません。ごめんなさい。)
発達障害者、とくに子どもは、強いストレスを感じると、不安が長期化します。
私も、何年たってもその事象に関しては、今起こっているかのように強く鮮明で本当に辛いのです。
恐怖を回避するために脳がすることだとしても、健常者のかたよりはうんと長く強く刷り込まれるので、ストレスを感じた場所に戻ることは、もしかしたらできないかもしれない、というくらい回復に時間を要します。
その記事を見つけたとき、熊本の地震の後を受けて(当時藤原紀香さんのブログにも発達障害など弱者の非難のことなど取り上げていただきました)、熊本県がくまもんが描いたんだよ、ということで、子どもたちにえほんを提供してくれています。
多言語で対応してくれています。
私は大人だけれど、発達障害だし、強いストレスや不安があるときは、ひらがなのほうがやわらかくていいし、えほんのほうがいいです。←あ、ひさしぶりに、ぜんぶひらがなになってきたwww
はったつしょうがいをもつ、おとうさん、おかあさん、ごかぞくのみなさまも、どうぞりようしてください。
りんくをはっておきます。
地震後トラウマで家に帰れない子どもたちのためにhttp://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=12678&pg=1&nw_id=1&type=new
こうやって書くのはまだまだ勇気がいります。
偏見が辛くて怖くて(それこそショックを受けてその時の相手の顔や声の抑揚や内容を忘れることができません。周りの景色も時間も覚えています。)、言い訳をしてしまいます。
「言語発達に問題がないからアスペルガー症候群だそうだけど、アインシュタインだって、チューリングだって、有名な科学者に偏って多く存在しているし、赤門の学校もノーベル賞が多い学校も偏って存在しているのに、私だけ奇異にみられる(一般の人の中に入ろうとするから←友達いないから)」とか、
「心理検査したらやっぱり超凸凹だったけど、下は110あったし、上なんて160あって、最低でも平均以上なのに、どうして私の方が高圧的に正されるの?いい大人になってまで。。。」
「マジョリティが正しいんじゃない。私より年上だからって社会を知っているわけでも国語を適切に使えるわけでも状況判断が優れているわけでもない。」
とか、これまでの理不尽なシーンに対して、その瞬間はただただ思いもよらぬことを攻撃的に言われてフリーズしてしまって反論できなかったことを、
こうしてツイッターやブログに書いてしまいます。
たぶん、そんなときは、PTSDの症状が出ているとき。
これだけ多様な人生がある時代になったから、障害を持ちながらだから、パートタイムの仕事でも本人にとってはすごく頑張っているのに、
昔の3高(高身長・高収入・高学歴)とか、有名とか(どの領域の人にとって有名かにもよるけどほとんどはメディアに取り上げられたということだと思います。)にみんなしてぶわーってよっていって、
よっていった人があたかも3高や有名になったかのようにふるまって、人に自分の考えをそのひとたちの権威を借りて押し付ける、、、
私は押し付けられて生きてきた、、、というストレスがもうぱんぱんで、、、
くるしいです。ほんとにくるしい。
けれど、こどもたちにはつみはないんです。まわりのおとながそうしているからいじめっこもでてしまう。
だから、やっぱりこのえほん、しぇあしたほうがいいとおもいます。
こわいぶんだけ、だらだらぶろぐになっちゃうけど、もういちどはりつけます。
じしんだけじゃなく、ほかのしょっくでとってもこわくなったことでも、やさしくなんどもだいじょぶってまもってもらていると、じっかんしたら、りかいしたら、だんだんおちついてくるとおもうから。それはじじつだから。