なんとなく、そういえば、、、みたいに樹木希林さんをみたくなって。
そういえば、亡父の故郷の奈良出身の河瀬監督の映画があったな、って思って。
京都シネマでいまやってます。。。
予告編ではあまり触れられていなかったけれど、ズシーン、って。
そのあと原作の助川ドリアンさんのインタビューとか探して読んでみて。
『役に立ちたい』って、なんて乱暴なんだ、って、おっしゃってた。
そう、かつて私もそう思っていたはずなのに。
理不尽なことがきっかけで力をなくしているけれど、尊厳というか、プライドというか、生きる力はあって、
その人の人生を知らずに、見た目とか、瞬時にさもありなん、な発想で、すぐ手を差し伸べる、って、
なんて驕った行為なんだろう、って。
『あなたは非力(弱者)なんですよ。見知らぬ、たまたま、通り過ぎただけの私さえ手を差し伸べなければならない、と、思って行動をしてしまうくらいの。』って、
それを公衆の面前でされたら、繊細な、こころのある人は、どれだけの痛みを負うだろう、って。
だから、昨日のブログ、恥じました。
けれど、幼い頃から、滅私奉公的な思想というのも「幼にして父母に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」
という、元々は女性は常に従属的な存在であるという仏教の五障三従の考えが、なぜだか潜在的に私や社会に刷り込まれているような気がして、
この従属的側は独立的(主体)の恣意的な思想や意思などに、たとえ理不尽と思っても、理由に納得できなくても、ただただ従う、
というものを汎化した考えだと思って育ちましたし、そうずっと言われてきました。
だからこそ時々、幼き頃に厳しく強制的な躾(本当の躾かどうかは解りませんが)の思想が私を束縛するとき、
(それができない心身状態でごめんなさい・・・・)と、許しを請う潜在な私がいるのです。
でも、今よりうんと重篤な鬱状態に突然なったとき、周りの目が怖くなりました。
それまではただの親切で優しい、と思っていた相手の行為が、パワーの見せつけのように感じてしまったのです。
『若いのにできないんでしょ』
『働き盛りなのにできないんでしょ』
そう責められているようになっていきました。
世間に対する不信感は、相当なもので、特に子どもたちが(私もだけど・・・汗)通学できなくなった時から、
学校法一条校(幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・などなど一条に定められている教育機関)に近いところは、
おびえて通れなくなりました。
このあたりは文教地区なので、教育機関だらけ。
病院も大学病院。先生は権威の象徴の白衣。
通院すら難しい状態だと判断した当時の主治医は『週に一度、私は外の診療所に出向いています。そこでは白衣を着ないで診察することになっています。場所が変わると怖いかもしれませんが、お試しでそちらの私の診察日にそこでお会いすることにしませんか?いかがでしょう?』と提案してくださいました。
のりしろ時期を作ってくださいました。そこに行けても行けなくてもいい。やるだけやってみる。
そうして外部への任期が終わるころ、同じアプローチで京大に戻してくださいました。
『今度は白衣を着られるし、場所も変わるんですよね・・・できるかなあ・・・やっぱりのりしろを作ってくださいませんか?できなくても叱らないでくださいますか?』って。
それほどすべてのものに怯えていました。生命のパワーにも怯えていました。
だから、はかない、生まれたてのがっちゃんとマロンに来てもらったのかもしれません。
犬種もチワワしか飼えませんでした。(その前はハムスターだったけど、お別れが早くて辛かったのです。)
そんな経緯は、この映画の登場人物からすると、軽いものだろうし、社会性や国家の問題としてもそうかもしれないし、
そうでないかもしれませんが、
とにかく思い出したり、やっぱり昨日の自分を悔いるというか、ごめんなさい、って思ったし、
それよりも言葉にならない、なんともこころの真ん中で受け止めて、
知らないうちに真ん中で泣いていました。
最近の体の不調が急激で落差が相当なのもあり、老いや死や病気や障害に対して、ただ怖いだけで、
それが急なもんだから、もう、時間がないとさえ、思うくらいに追いつめられていたので(今も追いつめられています)、
ズシーンとくるものをみれてよかったです。
子どもの前では恥ずかしかったけど。。。
でも最近、何もしなくても、気づけば涙がぽろぽろ出ているので、
やっぱり、ちゃんと病院行きます。
検査結果も13日に正式に出ますし、それも怖いけど、
お医者さんたちが守ってくれるんだ!と思い直して、
本格的再デビューしようと思います。。。。
私だって、好んで、偏見を持たれやすい素養をもって生まれたくなかったです。
でもそれを言うと、母親はとても悲しむし、自分を責めますから、言ってきませんでした。
娘は私に早々にズバッとしつこく何度もいうので、耐えながらも、正直羨ましかったです。
親と子に挟まれて、辛抱ばっかで、それが当たり前なんだ、って、自分に言い聞かせて、生きてきました。
でも、最近、歳をとったのか、体調がわるいからか、耐えられなくなってきているみたいなんです、私。。。。
そんな私が嫌いで。
ああ、耐えられなくもなって来たんだ、、、って。
子どもの認知療法の効果に間に合うかな、って。
そんなことを思ったりしました。
私も、私の人生が意味のあったものだと、思いたいです。
そんなすべての人に見ていただきたいです。