コンサートやCDでお世話になっているパナムジカさんの今年のプレゼントCD音符


ケンブリッジシンガーズその他のクリスマスコラール、なんと二枚組目!!


いきなり美しい和声の遷移(←一発で出ない私の携帯辞書(泣)あせる)


確かにテノールのビブラートが気になります。
誰しもビブラートはあるものですし他のパートの方も考えある。
なのにどうして私はこのテノールの方のそれだけ気になるのだろう?
…と考えながらも美しい和声の移り変わりにウットリしながらも聴き分けていました。


すると違いが解って来ました。
ソプラノ、アルト、バスの人は、最初、ほぼ真っ直ぐ、つまり揺れが無いように発話が始まり、長音の時にだけ終わりに向けてその曲のテンポや曲調や他のパートの人に似たビブラートに落とし込みます(あるいは音楽的数理的に美しい周波数を混ぜる)。

ところがテノールの人だけ発話からビブラートがガンガンに効いていて、その振幅と周波数が他のパートとも曲調ともテンポとも合っていない。コラールなのに、です。

これだひらめき電球って気づきました。

よりよくするためには微細な修正が必要で、そのためには細分化された緻密な分析(この場合は聞き分け)が前段階として、いや、準備として、いや、下支えにいつも保っておく「耳」として必要なのだと私の考えは帰着しました。

たとえ、それを表現するのが音楽専門用語でも他の用語でも内容が近似しているなら感じ合える、通じ合う、理解し合える、と思います。

とすれば、個人個人が例外でなく、ソロではなく、合唱団員なら自らの声を全体練習の際に録音し、上に書いた事が同調できているか確認するとまとまると思います。

周りと異質な頑固なビブラートを歳のせいにしたり、せっかく「さらによくなる」指摘でもムキになって逆切れされてしまいました。
ブログコンテンツそのものを全否定されました。

有名な人を知っているとか、
キャリアの長さだけを誇示するとか、
それのヒエラルキーが前に出ているのでは、
全く乖離方向に向かって努力してしまっているので、
聴き手にお届けするべき最低限耳に煩わしくないコラールにはならないと思いますし、
私見だけでなく摂理のように自然な事だと思います。

これら全部に留意しながら努力を続けていたのですが、本筋ではないヒエラルキーでバッシングと排他を喰らったので傷ついています。

そりゃ、私でさえ、子どもたちに肉体的についていくのも文化的理解についていくのも、かなりしんどくなってしまいました。
だから、普通の八十代とか七十代、六十代、五十代では相当しんどいと思います。

「無理言わんとってあせる」と言えずに逆切れしたのかもしれません。
けれど私(たち)は背中を見ています。
よりよい響きを皆さんにお届けできるように若い人の意見にも耳を貸して精進する先輩と、
逆切れして我を通し続ける先輩と、
果たしてどちらの背中がこの先、人としての成長に繋がるかは、
私がここに書くまでも無いと思います。

余談ですが、合唱団からの郵送物は理不尽に威圧的に押さえ込まれた恐怖が勝っていて、未だに一通も開封出来ていません。


このCDの方が人間関係を無視して、しかも上手いコラールを堪能できる。
精度のよいヘッドホンで聴くと本当に幸せです音符音符音符

あ、私、聴覚過敏症です。
言い方かえると「耳がいい」んです。
ちゃんと音酔いしますから(笑)


てなわけで子どもの診察待ちです。
大きな病院は1日仕事になっちゃうよあせるあせるあせる
ひとりでできるもん練習に入りました(笑)
そのステージに応じたフォローアップをするためには、
先生に患者データを先生が理解出来る日本語で渡し、
回答をフィールドワーク含めて理解実践する事が常日頃でベースにあります。
これは合唱をしててもお母さんをしてても私が患者をしてても研究者気質モードになっていても、
枝葉末節は関西お笑いモードかもしれませんが根幹は同じです。