基本、虚弱なので、幼いころから、自宅で勉強したり、ヘッドフォンで音楽を聴いたり、することが多かったです。
都会に住むことが多かったので、一般市民は密集した住宅地で住みますから、周辺に配慮してのことでもあります。
今、去年越してきたお隣が、家じゅうの窓を解放されています。
そりゃ、これだけ涼しくなって、風が通るようになってきましたから、換気をよくしたほうが家のためにもよいでしょう。
問題は、その状態で、テレビの音が爆音であることY(>_<、)Y
人が集まるところで大きな声で談笑する人(年配の人に多い)に対していつも私は困惑しているのはこの『音』に関してなんです。
他人に大きな音という暴力のみならず、
個人的内容がばれてしまうじゃないですか。
嗜好というか。
ショッピングチャンネルをご覧になっているようです。
そうでなくても最近のテレビは画像があるのに音声の抑揚が極端。
ショッピングチャンネルなんかはサクラを収録スタジオに入れていてガヤとして使っている上に、
持っている音声をかぶせて放送する。
それは、あおっている効果にほかなりません。
衝動性を引き出して購買にもっていく昔からある手法です。
それが過剰演出されている、ということです。
そういうチャンネルをすごい爆音で流しながら家事をしている、、、。
そこの御子息は中学受験をして朝6時過ぎには自転車で出ていくような通学手法をとるどこかの学校に行っているようです。
もしかすると他県ですね。
本人がいる日曜日なんかは、解放している窓から、家庭教師もしくはお父様か、とにかく男性の声で本人を指導している様子が外に漏れています。
この連休には、お母さんが『早く勉強しなさい』と叱っていました。
私はこの様子にも辟易したのですが(中学受験ももともと本人の希望だったのか、、、)、
そのご子息がいない間には、『早く勉強しなさい』とご自身が言われるようなことを、
堂々とやってのけている。。。。
もちろん隠れて、ということになりますが、いずれにせよ音に対する配慮がないという意味では、
郊外からここに越してきたときに気を付けるセンサーがまだない、というか、
そのお宅以外の家はこの近所で、そのようにテレビの音を大きくしている家は皆無であることをご自覚していない事実。
、、、とにかく、『自分はいいけど子どもには強いる』スタンスが私は苦しいのです。
父は自分で示すタイプでしたが、母はこのようなタイプだったので、私のトラウマがチクチクするのもあるし、
『平成最後というのに、変わってない人がいるのか。。。』というショックもあります。
私に、
音の事を『すみませんが、、、』という勇気があったらいいのですが、、、。
私のほうがヘッドフォンをつけて、ブラームスのドイツレクイエムを聴いて、
耐えているというか、凌いでいるというか、、、。
小さな携帯ラジオをポケットに入れて、イヤフォンで聴きながら、家事とか、って、できると思うんですよ。
私はしんどかったなあ、、、そういう家に住みながら、超偏差値が高い学校に行くための勉強をする生活、、、。
早く家を出たかったというか、認知行動療法が取れない母から距離を取りたかった。
自分が正しいと信じて疑わない。
(だから、堂々と大きな音で、テレビを流す)
もしかすると、助力した初めて会ったときから自我を通すと解ったお母様がいらしているのかもしれません。
耳が遠くなったお年寄りは文明の利器を使わず、物理的に人と近いことを望まれ、
それを今更、変えられなくて、
その事実に(今の自分に)自覚がないから、
何も躊躇することなく大音量で出されているのですから。
、、、どうしたらいいんですかね、、、
いろんな人が住んでいるという中で、
年寄りと虚弱な人などに同時に配慮できるのは、
共通項を取ること。
お年寄りも、あまりの衝撃では、びっくりしただけでショックで亡くなる方がいらっしゃることをかんがみると、
音は小さくされたらいいと思うのですけれどね。
なんでもかんでもポジティブ(+)がいい、って、
誰が検証しましたか
私、、、やっぱり、、、論理的でない人、
状況を読めない人、
、、、超苦手です、、、。
定型発達でこういう人は特にダメです。
は~、、、やっと、おさまった、、、
同世代であっても、同じお母さんであっても、
友達にはなれないわ~、、、
だって、思想や身体の事は変えられないけど、
状況に応じた言動はいくらでも修正できるのに、
その工夫がなかった、してこなかった人、なんだもの。
もしかすると、この思考こそが一方的かもしれない、と、私は思ってもいるので(←自分を俯瞰する癖をつけようともしています)、
時間的に猶予を先方にお与えするのですが、
それでも一向に改善が見られない様子だと、
自分の中で全く切り離します。。。