2006年は年明けから絶好調だったと映ったろう。
年明けすぐ協力機関に出向き、知らない場所で知らない人とたくさん遭って、あれよあれよという間に執筆を言われ、
それから徹夜ばかり。
身体とこころの悲鳴を聞かずに突き進んだ研究は、みるみるうちに成果となった。
新聞に掲載され、某国営放送で流され、日本のトップ機関で会議をし、恵比寿ガーデンプレイスでもデモの連続。
国内外を飛び回り、移動時間を使って資料を作り、取材の人たちにお茶を出し、研究も進める。。。
子どもたちの物理的なケアもあり、もう空中をものすごい勢いで飛翔しているような、そんな感覚。
欧州の次はアジアに出張。間も何もない。
次から次へと教授に突っ込まれ、斬新でキャッチーな研究を、と、毎週求められ・・・
周りも大興奮していく。
けれど、いつの間にか『何かがオカシイ!!!』と呟き始めた。
全然、地に足ついていない人生。
多少の飛躍は必要なのだろうけれど、飛びっぱなしというのとは全く違うし、それじゃいけないという直感がした。
特にメディアの力というのは、凄いようで、個人研究が取り上げられて、
実家も騒々しくなったし、大学の研究科の会議でも取り上げられた事自体が議題のひとつになった。
そう、、、一般の普通と呼ばれる人が勘違いする、と。
メディアが編集したように捉えてしまう、と。
その勢いが止まらない、と。誤解さえ、そのままいってしまう。
私が私の知らないところで、私の制御なんかお構いなしに私を作り上げていってしまっていた。。。
そうこうしている時に、ある時、本当にボッキリこころが折れた。
中国の会議で、パワハラに遭った。
今思うと、その指摘した研究者がうちのボスを快く思っていなかったという事なんだけど、
よくある話で、相手の学生をコテンパンにする、という技を発動されてしまった。
私は当事者になってしまったので、糾弾された言葉の意味をそのまま取ってしまったショックと、
『このご時世にまだそんな事するのか!!!』(あちこちでされてきた)
というショックをダブルに受けてしまった。
特に沽券を重んじる国では、私のような人間は、命の属性がこうだというだけで格好の的になってしまうのだ、と、その時はじめて身を持って知ったのだが、疲れ切っていた私は、それをかわすことも跳ね返すことももう出来なかった。。。
東京医大の話が暴露されているけれど、そんなもの氷山の一角で、ずっと水面下ではどこでもされていた事。
STAP細胞の件でも、記者会見をいくつか見るうち、『これは(内部からも)やられるな』って思ってた。
そんな業界に生きるの、怖いよね。
特に私には、子どもたちというある種の人質がいるから、火の粉が飛んでくるようなところは、私も同時に人質だった。。。
だから、私のような後ろ盾が全くない者は、認定退学だけをいただいただけでも相当な頑張りで、そのまま附属病院に引きうけていただいて、よかったのだと、今なら解る。
。。。やっと書けた。。。
凄い世界なんだよ。。。。
守る人がいたら人質になっちゃう。。。
昔、小泉首相の時は、ご本人が独身でいらっしゃって、お子さんも大きくなられていて別の職業だったから、どこかしら『この人が革新的な事を起こしても人質になる人がいなくてよかった』と思ったもんだ。。。
いつまでそんな体制の守り方をするんだろう・・・
怖いよね、政治的な事、って・・・・
どこの世界にもあるんだろうけど、強欲になってしまっている事に気づかない人が多くて本当に恐ろしい。。。そういう気持だった、と、今年のお盆は書いておこう。。。御先祖様が守ってくださると信じて。。。