http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/78_kawai/index.html#box_koborebanashi
実のところ、河合先生の御本は思春期あたりには出逢っていました。母が色々悩んだ時期に心理学の大家の本をたくさん読んでいたようで、他にも国分先生の本やらあったので、母が読まなくなったけれど保管していたそれらを読んだりしていました。
私が物心ついた時には、「当たり前となっているこの家(の機能)はオカシイ」と感じていたのですが、心理学や精神の本を読んでいると解ると外からの目が怖かったので秘密にしていました。(母も気づいていたのかどうかは分かりません)
さて、京大には本業といいますか、主軸となる専攻があまりにも忙しすぎて気に留める暇すらなかったのですが、河合先生と言えば京大のご出身、御子息にあたられる河合俊雄先生がいらっしゃるのも、所属しているこころの未来センターが設立されたのも知っていましたが、いかんせんそこを知る時間をどうにもねん出できなかったのです。研究室はどちらかというと研究費をたくさん取ることが誉とする色合いがあったので、その使い方にも厳しいというか持論を持っている同期のある人間がいました。彼はとてもプライドが高く、ま指導教官について前に赴任していた大学の学生から転入学した人なので両者の関係は近かったように思います。それゆえ、指導教官も彼に触発されて研究費獲得や管理などには同期の持論にベクトルが近いものでないと認めない風潮がありました。
そんな研究室のミーティングで一度河合先生の話が出ました。『あ、御本で知っている先生だ』と私は傾聴しました。すると、その同期と指導教官は平たく言うと悪口、正確かつ厳密にいうと河合先生の予算の獲得の仕方と運用の仕方に強い異論があり否認している様子を突き放す口調で述べていました。内心ショックでした・・・(ここでも誰かを非難したり否認する概念が存在するのか)と。
けれど、このリンク先でプロデューサの言葉を通して河合先生の実際に患者と向き合った時間からの治療者としてのありかたや姿勢の反省が書かれていて、私の疑問というか不可解だと思っていた事が解消されてスッキリしました。
河合先生は治療者と被治療者(患者)の間には一定の距離があってしかるべきだ、という持論をお持ちだったそうです。けれど、ある時、その持論があるからこそ、治療が長引き被治療者に寄り添えなかったという事に気づき、以来それを反省として辛い本人に同化するくらいでないと治療とならなかったのだ、と方向性をシフトされています。私はこの事に救われました。
私は人の話を聴くことが多かったのです。しかも苦しい話。相転移といって、聴いているうちにあたかも自分がその辛い目に実際に遭った当事者のように苦しくなって心身症状が出てしまっていたのです。自分一人ならそれでもよかったのですが子どもたちを育てるにあたり、その都度倒れていては現実問題のケアやサポートができないので困っていたんです。そのうちプロの臨床心理士は新人はこの相転移になってしまうけれど、訓練を積むうちに内的に心的距離を取ることができ(仕事として割り切れると言う意味だと思います)ると知りました。
『私はプロじゃないから訓練されていないからこうなってしまって、それは宜しく無い性質なんだ・・・』という考え方になって自責が始まりました。
だからプロじゃない私がお話を聴く機会を減らそうとすると、人との接触を減らさないと、実現しない。となって、ある種の引き籠り状態が始まりました。それまでの通説を成立させようとした結果の行動修正です。
しかし、河合先生は、患者との距離を取ろうとしてきたからこそ治療が長引くという負担を強いてしまった、と、反省なさっています。・・・とすると、私は相転移してヨカッタんた!と思いました。辛い人が辛いものをいつまでも同じ強い辛さで持たずに済んだんだ、と。
娘が酷い自傷をして、頸部を二十針近く縫う事になってしまった時、通りすがりのヒーリング館のようなところで韓国人の母子と御仲間の言葉を貰いました。お母さんはノウハウようなアドバイスをくれました。でも、私のこころの深層は、ただでさえ辛い荷物をもっているので、そのお母さんの言葉を更に背負う力は皆無だったのです。それでも受け止めようとしてしまうので、表面上はウンウンともがいていたのだと思います。それでもやっぱり現実は無理があるので、言葉に描かれている姿という期待に添えない事を内的に申し訳なく想い、ウンウンしていたのだと思います。今ではこう言葉で表現できますが、当時はそんな事できようもありません。。。すると、一部始終を見ていた娘さんが、私のつたない言葉に同調して、涙してくれました。今となっては、あれは同情ではなく、同調あるいは相転移だと言えると思います。
私はその様子を、大変神々しく捉えました。清んだこころで、清んだ眼で、涙してくれた・・・お嬢さんに私は救われました。お母さんが細かなニュアンスの日本語理解が出来ないので、娘さんが度々通訳されていました。偶然飛び込んだ数日しかOPENしていなかったお店。お代を払うことなく、私はそのお嬢さんに「寒いからもしよかったら私の帽子を・・・」と、大好きなウサギのファーの帽子をかぶせて貰いました。「大好きなオモニのキムチです。お腹すいていませんか?もしよかったらお嬢さんと食べてください。」とキムチも持たせてくれました。
天使のようなお嬢さんに出逢った・・・そう思いました。あの頃出逢った方がたに娘の私のこころという命を助けて貰ったと言えます。
このように、現在の治療の方向性は、いかにパーソナルスペースを保持するか、だと思います。けれど、実は昨日別件で弁護士と話す機会があったのですが、その若い弁護士も本筋のところでは決してないのに私を認めてくれて話を聴いてくれました。話が冗長だ、と、ある医師に指摘されてから萎縮するようになってしまって、ゴメンナサイが間に一杯入る私のちょっと亜性の背景を忙しい弁護士が聴いてくれたのです。これまで弁護士とは何人かと話していますが、初めての事でした。
『教授や大学や医者や病院や弁護士や裁判所や・・・と相手にする時便宜上、難しいというか堅い文書のやりとりがありますが、それを踏まえたうえで、詰めたところの極地では、やっぱりface to faceですもんね。』というこれまでの体験を傾聴してくれました。
私・・・・その傾聴ですくわれました。
教えて欲しいのだと思っていました。けれど違いました。『この理解でいいですか?こういう活かし方でいいですか?』というポイントに対して『それでいいですよ。問題ありませんよ。』という安心が欲しかったのだと思います。
私は生き方が不器用だと思います。困っている人を放置出来なくて、自分の成果は後回しで生きてきました。その人には明日がないかもしれないから、です。けれど、私の周りの殆どの人は、速く効率的に社会で成功する生き方をしない私を叱咤しました。なぜ、そんなどこの馬の骨とも解らんドンくさい人を待っていないといけないんだ、と。自分の母も含めてなので言語化したくなかったのですが、『面倒な事には関わりたくない』という考えがあるタイプの人のように思います。そういう人たちからすると、私は長いものには巻かれないし(長いものが何か解らないのです、マジでwww)、辛抱が足りない享楽的な人に迎合もしません。だから、同調しないので、面白くないんだと思います。世の中の殆どの人が同調するベクトルに私は同調しないから私を支配したり搾取したり迎合させたり、要は意のままにならないから今の言葉で言う『めんどくさいヤツ』になるのだと思います。
河合先生がおっしゃる通り、浅薄い人生でありたくないから、しっかりどっぷり辛さを底まで体験したいのだと思います。毒を食らわば皿まで、なのかもしれません。。。。そういう意味では肝が据わっているのかもしれません。。。私自身は、決していいとこどりはしませんから。
そんな事をしたら人さまにとばっちりが行く。そんなの嫌です。騙されても騙したくない。生きていくのに後ろめたいじゃないですか。そうなりません???私はなります。