酷暑の京都。盆地という事もあり、すっかりダウンしてります(苦笑)7月はギリギリまでこの酷暑の中、事務手続きで奔走しておりましたので、疲れが出たのかな、と。久しぶりに強いパニック発作が出まして、光過敏まで出まして、こりゃいかん☆ということで、ちょっと覚悟しました。
頓服薬を飲んで下の子(息子)に声かけたんですけど、彼は寝ている時は本当に何を言っても頼りないので不安でたまりませんでした。
けれど、実際寝込んでいた18時間の間に、上の子(娘)が主導でどうにかこうにか自分たちの食事の事とかやってくれたので、ちょこっと安堵しました。
薬で抑えた後は亜昏睡になるので、心不全のような症状が出たり、強烈なシビレがあったり、話せなかったり・・・臥せるという言葉しか該当しない状態になるのですけど、久しぶりに強くそれが出て、かつてそうだった状態だったもんですから、心底『怖い、戻りたくない』と想い、真剣に身体とこころを休めようと思いました。
私は、何の気なしに発言した相手の言葉だからこそ、そこに慎重さや熟考したものが無くその人の底意地の悪さというか失言をどうしても聞き逃す事が出来す、こころの奥の奥の奥のところで大変傷つきます。それをきっかけに苦悩が始るのです。『なんであのタイミングでよりによってあの言葉なんやろう・・・』に延々苦しみます。いつ何時でも気が抜けない緊張状態の生育環境だったので(実際には何の気なしに言った発言で両親が激昂し精神的肉体的に虐待を受ける立場にあった)大人になってまでも失言が出来るその人が本当に許せなくて羨ましくて、今回のように強い発作が出るまで苦しみます。
発作が出てやっと『まだ自立できない子たちへの責任役割の最中だ』となり、『私に依存するしかない未だ弱い立場の子どもたちは私の状態を見て本当に不安になる・・・安心できる居場所が此処以外に見つかるまでは倒れちゃダメ
』って、やっと『考えていない(心無い)人のセリフに傷つかなくていい、傷ついちゃダメ
子どもたちの命のために
』ってなれます。
←折角なんで『復活』もどうぞ。
ホント何の意味があって、私に着目してこれまでのストレスのはげぐちに他人がするんだろう・・・
マジ、他人なんだよ
他人のこころや家庭やら人生や生活というテリトリーに入ってこないで欲しいなあ・・・
自立していな人に多いんだよね
私はアナタの親でも子でも家族でもなければ、友達でもないし、たまたま居合わせたというだけの事なのに、失礼極まりない
・・・ということです。
要するに、自分の保身や沽券のためには、私の尊厳をはなから踏む人、という事です。
社会協調のためのセリフは聞くけど、その人の生き方や思想には何ら関心が無いし、そもそも私の人生の大切な時間を奪って自分の八つ当たりの矛先にするな、という話ですわ。
それでお金間で取られちゃあ、やってらんない
先ずは子どもたちと生きていく大切なお金だ
そんな人に投資するわけないじゃない
・・・ホントいい大人が自分の思う通りに私が生きていないからといってなんで支配したり制御したりしようとするんだろ・・・
という傷がいつもバンバン受けちゃうのでブログも書けないくらいになるのでした。
美しいハーモニー聴いて、こころに安寧を求めよっ