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ひとり親じゃなくても、お母さんじゃなくても、子どもがイジメに遭って、不登校になったら、寄り添いたいと思った。


私自身、子どものころから、社会に馴染め、尚且つ秀でるという、ダブル・トリプルのスタンダードを求められキツかったのは自覚してきたから。

私は家族にも理解者されずに育ったから、私は子どもたちの、あるいはあの日の自分の理解になりたかったんだと思う。


当時理解の無い周り(若いし男性だし仕方ない)から距離を置いた。
それが博士課程単位認定退学という表向きの肩書きを残し業界から消えた真実。

いくつものスタンダードがあるので、私は拠り所を完全に失ってもしまった事になる。


だから、あれからご縁があったところは、うしないたくない、と、深層が呟いていたのかもしれない。
表層は殆どを諦めながらも。


だから、合唱にまた出向いてみた。

途中までホント怖かった。

親しくなった方同士でおしゃべりをされている際は、私の事を非難しているように思えて仕方なかった。


でも、全体練習になり、ダメ出しだらけが良かったのか、のめり込んで行った。

暫く発声をしていない事実とか不安とか、構っているヒマが私から消失した。

ただただ音楽に集中する。
合唱を考える。
歌詞を考える。
音を考える。
発話を考える。
そうして指揮が求める理想形にひたすら作り上げていく。


気づけば、以前のロングトーン、以前のピッチが出現してた。


帰りもそそくさとしていたら、居合わせた人たちが、よく来たね、と、さり気なく言ってくださった。


お休みします、を、お休みすると思います、たぶん、いやまだ解りません。


娘ちゃん、今すごく不安定なのに、ママを少し外出させてくれてありがとうドキドキドキドキドキドキ