24日振り② | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

 

そういえば、、、昨年のこの頃、公開されたんだっけな~。。。 練習の様子。エキストラとして参加したのは、純粋に歌が好きで無料で参加していい、というとんでもない私にとっての有難い好機の恵まれたから。

 

私は、板に乗りたい、あのホールで歌いたい、とかそのようなものはなく、「ただただ自分が人生で通過していない”異分野の基礎”というものを、これから進むにあたって、たたき込んでいただく必要がある」という判断がありました。そのよい機会だと思いました。

 

とはいうものの、実際はキツかったです。別の団体の練習になんて、当然四面楚歌です。しかもエキストラ。初めてのことしか無い。知っている人はいない。慣例が解らない。色々色々解らない。解らないことが多い事い環境が苦手な私には相当なチャレンジだったと思います。それでも必要と判断したなら特徴に反して無理して飛び込みます。そうやって生きてきました。

 

そこでは現役のプロの声楽家の先生が自ら発声の基礎の基礎を、解剖学的に身体の使い方を説明してくださり、それから徐々に30分~40分かけて「毎回」行ってくださる。それだけで汗だくです。それでもその練習中に、発声とピッチと(後なんだったっけwww)が、その発声練習中に統合されて行きます。そうしてやっと、曲を歌う準備が整います。

 

元の合唱団ではそのような準備はしません。冒頭にカデンツを少しするだけです。基礎はできているもの、として進むのです。ここからして、共通認識が不完全な気が今ではしています。音大受験前の高校生が身につける事からして、理解できて実際に行えていないメンバーがいくら集まっても、響きなんて現実的に統合できるのだろうか、というシンプルな疑問はありますが、パート練習中や全体練習中でフィールドワーク的に身につけるスタイルなのだと理解しています。

 

だから、練習中は一切気を抜いていません。まずそれぞれのリーダさんのおっしゃる事、主宰の仰る事が、日本語としては理解できても、音楽的な理解がまず至っていない。次にというか、それを実現するための声楽的解剖学的理解が至らないといくら実践習得スタイルを取っても、我流の域を出ない。歴史だけあるけれど、実際どんな歌声なの?ってなった時に、「私はこの合唱団でここまで成長しました」というものが本当にあるのか、というと、正直、どうかと思っています。

 

私が心を砕いた4月28日の練習で、ブログではっきり書いていたかの追うな事を言われた事実があります。いえ、どんな状態であっても盲目的に尊敬する、というのは、あっていいのか、と思っています。私は、まだ入団いくばくか経っていないせいか、周りの方がはっきりものを言う性格なのか解りませんが、ハッキリ言われます。「その音、違う!」とか、「やわらかくない」とかね。響きに関して言われた事はないですけれど、そういうの、あるんですよ。ハッキリ言う人は特定されていますが、今回匿名で投書されたと言う事なので(現物を見せて貰っていないので現存するかは不明)その方が、ハッキリ言う人の傍で歌ったことがあるかどうかは解りません。

 

前回のマタイのオーディションで一緒になった方は、ハッキリ言うおひとりなのですが、その方に「それだけ声が出てるんやったら板に乗らんとあかんえ!」って応援していただいて、直前まで球団していましたが、勇気を出して板に乗る方向に心を定めました。

本来私は、讃美歌の延長のように、合唱を捉えていたようなので(後から自分を理解する事もあるwww人生はその繰り返しのように理解しています)、練習では壁を突き抜けた空遠くの山の端に向かって声を届かせようとしているし、歌詞に想いを馳せて歌っているし、もし、この声が教会の讃美歌となった時、どなたか一人でも、鎮まって下さる方向に御心が向いてくだされば、という志で歌っているので、板に乗るとか、乗らないとか、衣装がどうとか、メイクがどうとか、正直後回しなんですけれど、定期公演は団全体としての催しですから、それに迎合しないのは、自ずとどこかしら異端になってしまうと思うのと、先に書いたハッキリ言う方のアドバイスもあるのと、

 

最近は、『障害者であっても、異端であっても、初心者であっても、貧乏であっても、シングルマザーであっても、つまり何人でも、”表現する権利がある”』という事に気づいたからです。もし、それが、宇宙でたったひとりでも、OKじゃなくてもNGじゃなければ、成立するんじゃないか、だから、SNSや動画投稿サイトが育ってきたんじゃないか、って思いました。

 

音楽でも芸能でもそうですよね。大手の事務所じゃないと、地上波と提携出来なくて、自己表現の場が無い、という旧来の構図じゃなくて、個人でもインターネットの「場」(←これちょっと専門用語の意味を持つかも)さえ、提供されていれば、そこで存在することが出来る、というように時代がなってきた、と。

 

 

だったら、私のような考えの者が練習場所がメインで、オーディションがメインで、パートリーダやテクニカルトレーナーの先生に教えていただくことがメインで、定期演奏会はもうオマケというか、もしよかったら聴いてもらえますか?すみませんねぇ、素人軍団ですのに・・・といってもお金は頂いているので、それに適った歌唱はしてみせます、な、アプローチ、私はNGじゃないと思うんですけどね。150人近くいて、皆が同じ思考な訳ないし、新しく入っていただきたいなら、今の時代の価値観の流れや多様性を認識し許容し対応できないことには、入ってもらえませんよ。

 

資本主義ではなく、歪曲して、お金至上主義になっている人とのギャップが苦しんです。その方が事務局だとしたら、本当にそりが合わないし、理解しようとする努力をしていただけないとするならば、私ばかりが迎合するだけなので、まるで今の日大アメフトの勇気ある元部員と監督・コーチとのギャップみたいで本当に怖いんです。。。

 

守られるべきは弱者ですよ。日大というんだから学校法の一条校でしょ?でも本末転倒で、大学の教員って教員免許がなくても、教職の勉強していなくても、慣れちゃう仕組みがあるんですよ。それが問題だと思うなあ。。。前から思っている事ですけれどね。。。

 

大学の博士号を持っているか、それに相当する経済を持っているか、理事か、なんだかわかりませんが、プライドが邪魔して今更取れないというのなら、旧制高等師範学校(先生が学ぶ学校)を利用したらいいと思います。今の筑波もそうだし、鳴門教育大だってそうだし、広大だってそうだし、旧制高等師範学校いっぱいありますよ。そこのノウハウが大学の先生に教授されたらいいのに…あるいは、会社でいうところの上司や役席の知識としてシェアされたらいいのに、って思います。

 

政治家さんも共通基礎くらいは共通して学んだ人が立候補出来るとかにすればよいのに、って思います。異分野の基礎だから、決して簡単ではありません。全く違う概念を入れるんですから。けれど、それくらいできなくて、民衆をまとめる人になれないでしょう?それを理解して身にしていく中で、素養が培われると考える私は変なのでしょうか・・・・

 

幼いころから、真をつくところがある子だったみたいで、疎外されてきました。そうだと思います。すぐばれる嘘ついて迎合したりしないので。人道的にもどうもおかしい、とか、それってあまりにも偏ったうがった見方じゃないですか、と思った時に、私は決して迎合しません。そんなもの知りません。勝手に思うくらいは勝手にしてください。ただ、その物差し(色眼鏡)で、少なくとも私を推し量り、従わせようとするのは恣意的なのでやめてください、と、言い方を一杯変えて伝えているのですけれど、長年それ出来た人は(特に一回り以上の年上の方で若者の感覚や思考に鈍感な人)のれんに腕押しのようです・・・その現実にショックを受けるんでしょうね、私は。

 

『こ、ここまで、乖離しているのか・・・・』と。 確かに表面的には、通じているように映る日本語、実は通じていない…それに気づきもしていない・・・正解か人の数だけあるのなら、それでいいじゃないですか。適度な距離を取って、ある程度の歩み寄りは必要かもしれませんが、「こっちはこう考えた。迎合するかどうかはそっちが決めて。」は実は、こっちに自由が無いのです。「こっちが考えたのはこうですが、他に何か案はありますか?」からどうしてはじめてくれないのだろうか、と、いつも苦しみます。。。ディスカッションした事が無い人が多いのでしょうか・・・

 

ワケワカラン・・・・ワケワカランから、理にかなってないから、私は影響を受けている内は、ノイローゼになります。そりゃそーだ、議論にもならない。だって、私とその人は、話し合うスコープが乖離しているのだから。自分が話しているジャンルについて素人だ、という認識や自覚があるのなら、傾聴すると思うんですけれどね…やっぱり、インタラクションとか、アサーションとか、新しい考え方なのかなあ。アメフトの監督コーチと若者との間も日本語通じていませんよね。大変申し訳ないですけど、時代が進むと情報が簡単に手に入る環境にある子、ということになるので、いわば「この人の思考はたとえ監督でも危ない」と気づくんですよ。ただ、環境や慣例がそれに異を唱えられない状況にあるので、心が病んで行くんです。

 

ってことに気づかないのかなあ・・・プライドなのかなあ・・・慣例なのかなあ・・・時代なのかなあ・・・何なんだろう????と、今は時代劇を視る時、物語に没入する一方て、「現代でも伏線的にこんな思考があるのだとしたら、怖いなあ・・・」て思ったりしています。(つづく・・・書いちゃった☆)