きっと、こころの、芯というか核みたいなところ、の、御話。 一般的には琴線に触れる、という表現をするのかなあ。。。そのようなブログ記事だったのに、旧すぎるPCフリーズして、ガーベージコレクション四苦八苦してたら、消えてた。。。仮想記憶のどこにもひっかからなかったのね。。。( ´(ェ)`) こころの、芯というか核みたいなところ、の、御話。なので、再現できません。。。あの感覚とあの言葉じゃないとダメなんです。。。消えちゃった。。。未だこの世に私を遺せていない気がします。研究ってボスや先輩や学会の意向がものすごく反映されたものになってしまうから、いつの間にか私の発案どこへやら。。。なんですよね。で、それが自分の業績となって世の中に勝手に伝わって、よこしまさんってこういう研究を専門にしていた人、ってなっちゃう。。。それが私には辛すぎて、こころの息が出来なくなって、倒れました。。。。理解してもらえるかな~。。。私、芸能人でも何でもないのに、学会での生き方(売られ方)を周りが本人の確認もなく決めちゃった。。。というお話。だから、合唱団の今の暫定措置は、私の意図が正しく組み込まれていないノーアイデアなものだから迎合するつもりがないデス。。。でも即時回答すると、一般的には軋轢が生じるのは経験から学んでいるので、ペンディングの状態にしています。事実、決まったことについて、ではそれを受けてこうします、という明言をどこにもだれにもしていません。でも、現実は、進んでいく。。。なあんだ、居てもいなくても何も影響ないんだ。。。となったとき、私は私を生きていない気がするのです。。。研究していた時、知らない人から一方的に挨拶されて、拝読しました~、とか言われて、困惑した事もありますけど…やっぱり、慣れなかったなあ~・・・いつも私はなんだかいないんだよね。存在していない感覚。実空間なのに虚像で生きてる、って、何だかとっても気持ち悪い。。。私が私から生まれた感覚に的確に表現するコトノハをアイデンティフィケーションして伝えたい・・・等身大で受け取ってくださる人は本当に稀有で、人生で逢ったのかどうか、わからない状態…走行している間に、実の命、終わっちゃうよ・・・でも、もともと、なあんにも残らないのが、命なのかもしれないね・・・動物さんとか、草花さんとか、自分の何かが遺るとかそうでないとか、っていう感覚もってないもんね。 人間って傲慢だ…そうしてその人間が私・・・こころが卑しいい…と書こうと思ったけど、辞書が「心が癒し」+「い」って変換したwww いつも「癒し」について考えていて、その言葉を使っているから、辞書が変換デフォルト(≒常時候補最上位)に私の言葉では「癒し」を持って来たんでしょうね・・・そっか…私は常に、「癒し」について、思いめぐらせているんだね…そう、癒されるような歌声が欲しいのです・・・高声はテノールのリーダさんと、小玉晃先生に「綺麗な声してはりますね」って、歌を始める時の音域チェックの声だけで言われたから、声質は天性のものだと勝手に思っちゃって(教会で宣教師さんに”神様が下さった声”といっていただきました)、その声を素直にのばして行きたい、さすれば、育った声がもしかしたら、誰か一人の癒しとなるかも、って思って。そうして多くの人の邪魔にならない声になれるかもしれない、と思って。それで歌いたいんだけど、あまり、というか、殆ど理解されていない現実・・・・
孤独だなあ。。。