プレスリリース、ってあります。報道各社に「~ということについて記者会見をします、つきましては・・・」という御報せです。
お手伝いにいった先で、報道機関に、女性は珍しい、と、勝手に撮影されました。
勝手に内容を編集されて、勝手にテレビや新聞に載りました。
そんな事されては困ります。何のためのプロジェクトリーダーなんですか!?
何のための先輩方なんですか!?
その日から、色んな妬み嫉みが起こりました。
そのような事とは無関係だと思っていた人まで厳しくなりました。
そのような気質があるとは、私も中にいながら気づきませんでしたから、報道の方はもっとお気づきにならなかったでしょう。
そうして、研究が遅れてい行き、研究室に行きにくくなり、学位取得の道が音と立てて崩れ始めました。。。
まさか、合唱団でも似たような事があるとは思っていませんでした。
世の中怖いですね。。。
あの羽生君ですら、悪意あるツイッターアカウントに色々揶揄されているらしいです。←偶然見つけて「本当だったんだ・・・」愕然としました。
頭がよく、感受性の高い羽生君だから、とっても傷ついたと思います。わけのわからない非論理的な矛盾だらけの攻撃に、混乱したと思います。そりゃそうです、内容が混乱しているのですから、感受性の高い人はまず内容通り混乱します。。。感受性が高いと言う事は、すこぶる素直で人を信用することが根底にありますから、そのような悪意ある人の事すら「そう言ったのには訳があるのだろう」と慮ったり、「そう言わせる僕の素行がきっとあったんだ」ともしかしたらありもしなかった自分の非礼を責めます。ノイローゼになってしまいます。。。
同じ仕組みですよね。。。今なら「スルーしようよ」って努力すると思いますが、天性の資質が緻密なサインをキャッチして、それを緻密に分析リンクして演出して、それでアウトプットして人さまに喜んでもらおうとするものだから、人をなかなか悪く思えないし(悪意のある人の言動も、言動を困ったと捉えるだけで、その人そのものを憎めないんです。基本命が好きですから。)、スルーすると、自分のアウトプットが微細に変わってしまうので、そこは誰より自分が真っ先に気づいてしまって、純度が下がるので、なかなか割り切るなんてできないんです。命を諦めるみたいで。それがこだわりで、そのこだわりの精度や完成度の高さがプロと言われる所以だと。
先のブログで「一般の人でも簡単に読める」と紹介しました。けれど実際は人によっては学部卒レベルか修士卒レベルでないと真意を読み込めないと思います。書いた人の所在を見て「あー、あそこね」と、信用をおける所属だと、精度が高い場所だと、知ってからでないと余もよという気にもならない人もおられると思います。事実です。
それを男性で、イケメンで、若くて、肩書が有名で・・・という人が、発言しても「そうなんだ~」と素直に取ってくれる方が多いのが現実で、
私のような女性で、おばさんで、障害を持っていて、シングルマザーで、肩書ももう古いのもだとしたら、それこそ悪意のある無視をされてしまう現実があります。物心ついてこの方ずっとそれを体感して来ました。あちこちのコミュニティでアノニマスの集団に個人攻撃されて疎外されて来ました。仕方なしというか、適応先が、個人、になってしまうのですが、それを「さぞかしさみしいでしょうね」とまたレッテルを張って集団で痛々しく見るのです。何か施しや慈しみとか、見守るとかではなく、侮蔑した目で見るのです。事実です。
先のブログに挙げた本を読むのに、小一時間あれば十分です。それも事実です。けれど、それすらカッコつけてるとか、うそついているとか、思われます。もう辛いです。
金曜日、急きょ診察の後、本館のトイレに行きました。個室に入っていると、洗面台の方向から大きな声がしました。
「主人はここなの。息子もここになったの。孫は灘に入ったの。」というおばさん(おばあさん?)の声。
クリーンスタッフの方が「皆さん、凄いんですね~」と相手をしました。
すると、その話は延々続きます。
私も医学部の知り合いやお父さんが東大の教授や弁護士の人を知っています。かつての同級生が灘に進学したり、息子さんがラサールに行った子もいます。
ひとりふたりではありません。この業界に入って何人も知るようになりました。
で、このおばさんのような、自慢話を耳にしたことがありません。
なんなら入学してすぐ、学生アカウントを貰うガイダンスの際に、「いい意味でも悪い意味でも名前が大きい大学なので、言動には気をつけなさい」という事を教官から厳しく言われるからです。
事実、そのご主人と、息子さんと、お孫さんは、いちいち自分が誰かに「僕は京大で医者をしているんだよ。」「僕は灘中に入ったんだ。」とは言わないと思います。
それまで神童だと言われていた子どもたちが、灘中に入って、いきなり最下位になることがある場所です。
「あんな頭がいい人見たことが無い」という人がその辺をうろうろしているような場所です。
自慢するために大学に入った?医者になった?
そんな悲しい事ありますか???
親の自慢の道具になっている事実を知って、特に子どもなら傷つくでしょう。私はそうでした。
あれだけ、言わないで欲しいと言ったのに、作れない時間を作って帰省した時にはもうご近所に進学した事がばれていました。
修了したんじゃないんです。まだ修行が始まったばかりなのに。。。
とってもとっても傷つきました。
頑張っている人を折れさせるのは、周りの無理解です。
精神科の待合に一度行ってみてください。そうっと入る分には誰にもみつからないし変な行動を取らない限りは大丈夫。
すると見えてきますよ。実は付き添いの家族が問題なんだ、とか、
様子を見に来た上司が問題だったのだ、とか、ね。
真に神経疾患の場合は本人の病理の症状でしょうが、
精神の場合は、周りに真の病巣がある事が往々にしてあります。
これも信じて貰えないかも、でしょうけれど。
そうです、私の特性が無いとは言っていません。
だから、真の病巣が「往々にして」と書きました。大切な修飾語です。大切で緻密な意味を含んだ言葉です。
日本語を正しく理解し、書かれている領域において、ある文法の中で使われたら、ある意味になる。
という活用まで、しっかりと、頭に入れて、専門書を読まないことには、真の理解が進みません。