自分が悲しい。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

 


どうにか朝、娘ちゃんが帰って来ました。


ちょうど一年前に(どこかで聴いた歌詞のような)、実母のガンが見つかりまして、最近はガイドラインが確立されたと言っても、戦前生まれ&診断を受けていないけどかなり自閉的な性質の母にとってはショックなだけ。昔から自分が驚いたら、それ以降は自分が中心で、とても辛辣な言葉で、父や私を撥ねつけました。偏って自分が信じていた事以外が起こると、たまに弟にもそういう態度を取るようになりました。父はいつからか帰らなくなり、弟も成人する頃にはあまり家にいなくなりました。


もともとは寂しがり屋なのに、自分の癖に向き合わないままに、ずっと「自分は正しい」と譲りません。だから知らないで近付くと火の粉が飛んできます。孫にも、私の目が届かない時は、感情の揺れに負けてそうしているようでした。その母がステージ4で見つかったのだから、もう周囲への心の暴れ具合は相当なもの。

 

私が子どもをもうけてからは、当たり前ですが、親が子どもに来てもらいたかったので、子どもの事が優先です。私の子ども時代は、そのような母のケアが私の中で自分を護るより優先だったので、当たり前だったのですが、そこまでしても当の母は気づかず、私は心を閉ざしました。私のように親の感情に振り回される子があってはならない、ましてや自分の子どもだ、となったとき、配偶者や姻族と離れたほうがいいという判断もできました。

 

幼いころから色んないじめがありました。母子家庭に向けられる偏見、いっぱいありました。開き直れる母子家庭の人もいましたが、私はそれ以前に両親の偏見を知っていたので、開き直れませんでした。十年以上気をつけてはいたけれど、二人が不登校になり、自分を護ってくれるはずの、理解してくれるはずの、学校の先生を信頼できなくなった積み重ねであることを知りました。以来、ずっとケアしていますが、まだまだの娘は急性期なので、昔の母を今の私の世帯に持ってこられても、親に心理的に棄てられ弄ばれ傷ついた心はもう修復できないことを、ある日私は気づいてしまいました。板挟みにどうにもならなくなりました。
 

二年ほど前からは、どうやっても踏ん張りがきかなくなりました。処方薬一つにしても、主治医は初めて私という個体には試すので、経過がどうだったのか、副作用があったのか、副効果とのトレードオフと生活で活かせるかどうかを総合的に考え、たった一つの処方薬でも、精神科で出される薬ですから、厚生省の禁忌通達を自らも読みながら実際の自分の身体の反応を観察して一緒にさがしてもらいます。なのに、ただ、精神科という名前を聞いただけなのに、まさに忌み嫌うものとして、差別をする人が多いのです。理解しようともしません。私はそれが特に母親にありました。だから母と似たような考えの人に敏感です。

そのような中、子育てしてきました。けれど、おそらく長年のストレスによる、メニエールや長期の胃腸炎、神経麻痺、などなどが怒涛のように出てきて、症状が強くなってきたので、加齢もあって、一瞬、

「いつまでこうなんだろう。寛解は無いにしても、派手に症状が現れ、特に街中で悲鳴をあげながら過呼吸になる状態をいつになったら避ける判断が出来るようになるんだろう???」と頭をよぎってしまいました。


時間がかかるのは解っています。羽生君で例えるのは烏滸がましいけれど、ジャンプに拘った思春期の羽生君にいかにオーサーコーチが期待しつつも我慢強く真摯に土台のスケーティングが無い事には、と、フィギュアスケートはトータルパッケージだと、底上げの意識を持たせたか、またそれを彼が理解したか、のような感じです。

自らの障害や疾患に人生というトータルパッケージで支えをする時の判断が大切だと親としては気がかりです。

娘は羽生君のように理解速度はあるかもしれないけれど、彼が超えて来た、思春期の試合で感情を抑えられなかった自分を、娘はまだ超えてはいません。

 

そこでどうにもならない悩みが出てきたのです。育つまで私の身体が間に合うだろうか、と。
だからつい「いつまで…」と思ってしまった。
そうしてそう思ってしまった自分の今が悲しくて仕方なくなるのです、無性に。情けないしもどかしい。

取り急ぎ対処療法のお薬をいただきました。
また弱いですがメニエールの兆しと両下腿筋肉の緊張が継続していてカチコチのまま痛くてストレッチも効かず歩行困難です。


明日娘ちゃんの通院引率です。もし一般患者さんのカオスが予期不安でダメな場合は私だけでも行かないとあせるあせるあせるあせる


実は…私も同じ疾患なんですけど…責任を果たしたくいのです。


ブログが拠り所のようです。吐露してすみませんでした。(泣)