一年前の画像を複数再度アップして眺めてみたりしました。何だか眠れなくて起きちゃいました。気候のせい、緊張のせい・・・そうかもしれないけれど、急に、私の人生何だったんだろう???と、ふと思ってしまいました。悲しくなりました。自我を封印するために、なぜそうしないといけないと思ったのかはわからないけど、とにかく自分の感情というか、したいことを家族に、人に尽くすのが女性、それが私、という観念が私の中に刷り込まれたのか、どうなったのか解らないけどとにかく存在して、義務を課すかのように、まるで贖罪のように生きてきました。突如そういう感覚がブワッ!と出てきて、悲しくなったのです。なんだかまだうまく書けず読みにくいと思いますが、どうかご理解ください。
家庭をもち、子どもが生まれて、特に両親の偏見に遭うたび、あるいは両親と似た偏見を持つ人と遭遇した時、辛いことがあるたび、私は個人ではなく、子どもの心身を誰より何より専門的にケアする立場に立ちました。そうです、特に子どもたちが大変だった時。自分の体はとうに具合が悪くても研究して生業にして育てるためには気力で動いていました。ところが母子家庭に関する偏見なのか何なのか、学校で集団いじめに遭って、学校の先生も全く理解してくれなくて(傾聴して子どもの良いところを引き出す、というよりは、指導要綱やそれに準ずる先生自身の価値観をずっと押し付けられていたような気がします。他のお子さんの親御さんも、京都は古いからおじいちゃんおばあちゃんや歴史の価値観を・・・)、余計に特徴である過集中を使ってやっていました。その時はあれだけ「(家庭が大変で、独身の若い能力のある男子学生ほど先生に貢献できないかもしれませんが)未だ見捨てないでください」とボスに研究生活を懇願し、オーバードクターしてもしがみついていたのですが、子どもたちがふたりとも不登校になってしまい、「この世に誕生させた責任として子どもたちのケアを優先したい」という想いはから、「これはそれがもとでDVも酷かったし離婚したけれど子どもたちと一緒に居れず本末転倒になっていたな」という事実に回帰し、大学院を満期修了する、つまり在学中に博士号を取ることを諦めました。
振り返るといつもそうなんです。何か辛いことがあるたび「私が計画したりして行動することがままならないのは、それをすることは神様か仏様か何か知らないけれどダメなことなんだ」と思い、そう思った自分に罰をあたえるように、どんな些細なことでも自分の楽しみは全て棄てて、他人に尽くす、という事をしてきました。自分のケアなんて永遠にあとまわしでした。実は、これには、私自身のトラウマが多いに関係あると思います。
父親は人を制御するのを好む人でした。営業職というのもあったのでしょうが、心理作戦に長けていました。小さいうちから、父の巧みな口を信用して結局は父の理想の通りに動かされていた事は思春期に入る頃、気づき始めました。母もそうでした。実家で稼ぎ頭だったので、他の家族から大切にされていたのでしょう。それゆえ、互いがいつも自分を譲らず大きな喧嘩をし、それでも引かないので、毎回相当な事になっていました。それがいつ勃発するか解らないので、弟とびくびくして育ったように思います。家族内でのハラスメントなんて当たり前でした。同世代の人はそうかもしれませんが・・・。そこでもっと困った事は、それぞれの実家の家族の末同士が両親だったのに、上のきょうだい意見に耳を貸しませんでした。自分が秀でていると、それぞれが人生を送ってきたのでしょう。自分の思った事に信じられないくらいの自信があったようです。精神医学的や発達心理学的にいうと、根拠のない自信でおぼつかない語彙でも自分が全能のように正当化する、のは思春期までの子どもなんです・・・これも大学院に進学して学ぶことで解りましたが、とにかくずっとそうでした。
自分たちが周りの反対をよそに結婚して、だったらと、貧乏なのに盛大な挙式をしてあげて、新婚生活も両家から一杯支援してもらって・・・。そんな中、私が生まれたのですが、さあ、それからが自分たちで出来なかったのです。弟も出来たのですが、やっぱり生活を軌道に乗せることはできませんでした。両家に経済的にも人的リソースもおんぶにだっこでした。私と弟が大きくなって他のきょうだいも家庭を持つとそうそうそれらが出来なくなります。すると機能不全家族になり、ついにそのストレスは、私と弟に向きました。
『子どもさえいなければ離婚できるのに』『子どもなんて手枷足枷だ』『この役立たず』他にもたくさん言われて来ました。だから幼心に「自分がもし将来、家族というものを持つ事があったり、特に子どもに恵まれた時には、両親の判断の下、受胎したのであって、子どもにはなんら責任は無く、自分たちのような未熟な者のところにきてもらうんだから、真に賢い人になるよう努力を怠らず、それでいて押し付けがましくなく、子どもに自慢することなく、子どもの心をいじめることなく、育てたい」と思いました。それだけは言語化できていました。
…だから、正直、板に乗る事、どこかでなんだか、後ろめたいんです。これまでの癖でしょう。そうして、クラシックの世界に脚を入れたのは、ポップスの世界でとても傷つくと言うか同時にとても傷つけたかもしれないと思う人生での大きな出来事があって、とてもじゃないけれど、顔無毛出来ないから(相手は何も思ってないかもしれないけれど)、もうその畑には脚が竦むくらいに申し訳なく思って行けない・・・と6年7年自分を抑えている事が解りました。どこかで「立ち直るためには”行くもんか”くらいに思わないと精神が崩壊している」と解っていたのでしょう。その間に娘のあと少しずれていたら今生のお別れとなった頸への自傷事件もありましたし。
神様がそう言ってるんだ、って思いました。
でもここに来て、楽しそうなイベントがポップスで告知され、活躍されいるのを目の当たりにし、幼いころに聴いてファンになったインナーチャイルドをずっとケアせず辛抱させている事がブワッと湧いて出てきてしまいました。混乱しています。決して公演前の混乱じゃありません。定期公演と違ってたかだか(勿論一生懸命つとめさせていただきますが)4曲、20分の演奏です。
私自身の人生の後半戦、残りがあまり無い現実を想う時、大きな決断をするときなんだろうな、って、インナーチャイルドが気づいています。感度の高い子どもですから。