叩き起こされ、
『僕、頑張りたい。直したい。』と。
予定に無かった事で行動までも伴うと自律神経の都合で起立が難しかったりお腹の調子が悪くなったりビックリが強くて兎に角「過緊張」で大変になります

けれどこれまで急性期だった娘の方を優先せざるを得なかったので息子の自らの意志が出てきたタイミングは大切にしたいのです。
(昨夜は震災関連の情報に真正面から向き合って…よるになって具合が悪くなりました。感受性の高い私にはまだ七年なのだと思います。阪神淡路の映像も自分の中で封印しているみたいです。娘が生まれた年度の事なので特にいのちを体感した多感な予後の弱い時期でしたから特徴も相俟って画像記憶で扁桃体が覚醒してしまいます。)
政府主催追悼式での被災者やご遺族のお言葉が僅かばかり復興しているようで、それには大変安堵しました。あれだけの災害に遭われた皆様の物理的精神的復興が最優先だと思いますからお話を聞けて良かったです。
私はなんでも自分を後回しにします。登りなら最後尾、下りなら最善で、足を滑らせて転がって来た人の堰にになりたいと幼い時から周りを見ていました。自分だけ社会的に成功するのに家族の極端な犠牲があっては余りにも偏り過ぎていると考える人間です。
この春、合唱仲間さんが本職で、学長や教授に昇進されます。正直私だけあれだけの命を懸けた努力をしても折れたので(命を懸けるほど無理したから折れたのだと思います)どうしてこうなってしまったんだろう、とも思い、まだまだ学術には課程認定満期修了なので「やはり学術は男性が主人公で女性や家族の支えが無い人には触れる事さえ難しいんだな」と平成三十年の今も思います。
けれどそれは後ろ盾の無い男性には取り分け厳しい現実があるという事なので、
私はまた同じ発達障害と思春期とこれまでの学制と政治経済のバランス具合が違い、気質も違う息子の事で親として人間として新たな学びと育みのスタートになりそうです。
娘の自傷はもうすぐ半年無事になります。PMDDの治療が始まったとは言え切り傷を治す訳ではないですから半年で最低より僅かでも緩和された今はあの針のむしろの継続的苦痛の四六時中を思うと雪解けに十年かかったかなあ、と思います。
偏見があった精神科に連れて行って二年目にいとこが自死しました。遺族の大きな喪失と否応なしの人生路線変換、偏見を思うと早くよくなっては、辛い親戚を置いてきぼりにするような気がして私には出来ませんでした。
そうして翌年は震災が。
主治医がトリアージの上、旧帝大の精神科リスクマネジメント医員として私を数週間「どうにかお薬で持たせてください」と待たせました。
私はその日いのちがありライフラインが通り夜露を凌ぐボロ家はありました。
DVで子連れで逃げた時、衣食住に事欠きましたから(親族は古いので離婚した身内には厳しくもう親族はいないものだと覚悟して生きてきました)解るのです。
娘は甲状腺腫瘍がいつ悪性化するかもしれなかったので悪性化したお年頃の女の子とも待合いで居合わせました。母親としてこんな目に遭わせちゃって…の意を酌んでかその少女は症状で外形が変形してもお母さん大好きの態度でした。
その甲状腺腫瘍が震災の原発後にあり、非難した先で虐められた話を聞いたりした時、科学的生理学的に正しい知識を獲得することなくただただパニックを起こしたり、それをきっかけにお年寄り女性子どもに本当に人間は当たり散らし、自分がもしその身だったらどう感じるのかの想像力もなく、ただ経済的物理的に復興を我先にと思ったり、被害が拡散するのを謂われのない風評(バズ)で本能的に見たり、人間てこうも醜いのか…と愕然としました。
もちろん幾ばくかの人がいるであろう事はなんとなく想像はしていました。ところがやっぱりパンデミック的であった事、もしそれが自分の親の世代がさきに見せてしまって次世代の子どもがその歪んだ価値を入れてしまったら、と思うと、精神性の意味でもはや人は人でなくなったとさえ思いました。
もちろん精神科にかかっている事のみならず、母子家庭への勝手な偏見、子ども達が保育園なのにジェンダーでやさしい息子が勝手にトランスジェンダーではなく、ただ人として父を門前の小僧のように素直な気持ちで送れる素養をもっていただけなのに、もうそれはそれは死ぬまでつつかれる白いカラスのようで、私はやっぱり世間一般の男性と肩書きと悪知恵がどれだけ欲しかったか。
先日亡くなった北島三郎さんの次男・誠くんは中野にいた時の幼稚園のクラスメイトです。たまにしか彼は来ませんでしたが、周りの先生、保護者の神経の使い方が彼のオーラを作っているようでした。毎日くる傍若無人のガキ大将が誠くんが来た日はどこにいるのか解らないくらい存在感をけしてしました。
幼い頃に透けて大人の社会を見てしまったもんですから、以来ずっと私は混乱しています。
末尾にこの春から本山先生が大阪音大の学長に、北村先生が京都市立芸大の正教授にご昇進されます。昇格とともに色んな仕事が増え同時に制約も増え多忙にもなり部下の為に本来関係なくとも対外的に頭を下げる事もあるでしょう。そろそろ同期もそうなっていきます。
私はそれを知らずにただ肩書きのある人を一方通行的に知っているだけで、向こうは自分の顔と名前が一致していないのに、さも知り合いのように吹聴する人を見てきてしまったので、刷り込まれた嫌悪感があるうちは、互いに顔見知りであっても、ブログやSNSには書かないようにしています。
長くなりましたm(_ _)m
今日は待ち時間長いです。