・・・いとも簡単にメンタルが墜ちるんですよ(苦笑)・・・困ってます。
で、なんとなく、というか、無理のない範囲だけど、挑戦してみよう、というモチベーションで、なんとなく動画サーフィンしていました。(あきらかに造語www)
※ひとつは(宇宙)物理学
光速って1秒間に地球を7回半も回るから(30万キロ/秒)、瞬きより速いイメージで、それ以上は考えようともしませんでした。でもこうして、自分の身の回りよりはるか大きいスケールで物事を捉えると、この場合においては、地球から1000万km離れたところから地球に到達するまでを約30秒とし、相対的に光速を視覚化しています。(理解しにくい説明ですかね・・・苦笑&汗)
要は1秒にも満たない時間を30秒に膨張させたわけです。縮尺度はそのままに。そうなると30秒、たとえに挙げられた距離を視覚的に体感することができます。直感として『結構ゆっくりに見えるなあ』でした。当たり前の事を視覚化したんですけれど、捉える範囲を自在に拡大・縮小することで、見えてくる世界や感じる世界がこんなにも違うんだな、というのが嬉しかったので、落ち着いてもきました。
※もうひとつは数学
皆さん、「フェルマーの最終定理」という響きくらいはお聞きになった事がおありかもしれません。それにちなんだ授業なのですが、教授の話の展開が私にとっては斬新な物の見方・捕まえ方(捉え方)かつ複眼的であることを「それでいいんだよ、色んな目線でいいんだよ、自由なんだよ」と容認してくださるかのようなものだったので、こっちも嬉しかったです。
「当たり前が当たり前でない」とか「難しく書いてあるように映るけれど、ひとつずつ丁寧に考え、どこか関連性や規則性を頭の片隅に置きながら考えると、以外に簡単に思考の次元を拡張したり縮小したりできるんだよ」って。
私、とっても小心者で、庶民なので、バークレー校の数学の先生が受容・寛容である事がこの動画(Eテレだし)の存在で確認できそれが確固たるものなので(実空間の実績)、私はやっと『あ、私、私でいいんだ~』ってなっていきます。一回ではなりません。まだ考える余地があるうちは自分にOKを出しません。「このような歴史的観点からこれらを解としてよいのです」という流れがあって初めてなのです。
そうしてそれは定理という証明されたという歴史の証人が数学に興味を持っている人の中に情報としてシェアされ数学史に残るので私は安心できるのです。
そういう意味で、「継続は力なり」というなら、私はその感覚は理解できます。350年の時を経ての証明ですからね。
やっぱり時間かけてじっくり「???」と感じた事、閃いた事、熟成させていきたいです。そのうち似た事で悩んでいた人が繋がりあう時が来て、見つけた人から安寧が訪れ広がっていく。
そうしてそれが押し付けであっては決して見つからない。だから考え続ける事、感じ続ける事を止められない。すっごく脳疲労を起こすけど・・・それが私の存在意義とは言わないまでもアイデンティティだと思います。