22日、デイサージャリーでございます。
息子が、です。
私の過去における手術は麻酔の問題が起きたり、色々危なっかしい事しか無かったので、回避できるものなら・・・と思いますし、代われるのなら・・・という想いでいっぱいです。
息子は同じように緊張していますが、私の言いだす事が非現実的でない事実に対して、「あのねぇ・・・」と呆れ気味です。
(それでも、広汎性発達障害やPTSD持ちは、色々予期不安が強くて大変なのです。そうして彼は、このところ医療機関の担当医が変わってしまったことで、通院するのに難儀しておりまして、未成年時のまま、安定剤も処方されずにいます・・・ただただ耐え凌ぐだけの状態です・・・薬依存というわけではなく、必要量飲まなくても御守りとして持っておくだけでも安心したりする事も往々にしてあるんです。)
で、とりあえず、デジタルものは、ネットニュースとかですが、なんだか恐ろしい事しか無いです。自然災害は発生が仕方無いものとしても、人為的な発生のものは、本当に胸が痛みます。相手の心に寄り添えない、って、悲しすぎます。
稚拙なものの例としては、八甲田山系の樹氷に蛍光ピンクのスプレーで落書きをした外国人の観光客のしわざと思しき事件、和歌山の温泉施設のジャグジー部分にシャンプー8本投入して使い物にならなくしてしまいそのまま逃走してカメラから割り出された少年(19)たちの件など・・・
開いた口が塞がりません・・・ちょっと外に出ればそのような人が多いので、正直怖くてあまり外出しません・・・
幼いころからサバイバーズギルトで生きてきました。阪神や東日本の震災だけでなく、親戚や友人知人のそれでも、重く感じて生きてきました。
次に使う人への心遣い、周りへの心遣い・・・なんだか日本人や東洋人の所作の美しさが消えていっているようで悲しすぎるのです・・・
口に出そうものなら、逆切れだし、余計な御世話とも言われるし、言わずとも感じ取れる人なんてそもそも稀有なのに・・・
はぁ~・・・すいません・・・吐露しちゃいました・・・おそらくその事と、ナーバスな事と、両方あるのだと思います。
京大病院でも、スタッフ全てがホスピタリティがなんたるや、を知らずに気にせずに、名前が有名だから、と働いている人が散見されます。
なんか、怖いな~・・・自らの精度が落ちている事に気づいていない、って・・・本当に恐ろしい・・・
「本当にこのような程度の私が生き残っていていいのだろうか」と思うのです。
けれど、あっちもこっちも酷過ぎて、どこから手をつけていいか解らない状態です。
取り急ぎは、実子のケアです。この身体に休みが無いのはキツイですけれど、でも、御母さんするため(誰かのケアするため・メンタルケアも含めて、と同値です)に生まれてきたんだ、と、幼き頃強く直感していたものですから、それを思い出して、どうにか精神を保とうとしています。
やっぱり、広く深く祷りながら、その状況に応じた最適な手立てを緻密に粛々と行いたいです。そのために、この身体を修復する時間も少しはいただきたいです。
なおかしこ。