なかなか良くならない体調に、
最初は焦燥感だったのが、
だんだん絶望感に変わってきて、
それも受け容れられるようになってきたというか、
一寸先もなすがまま、というか、
自分の意志ではどうにもならないと、
なんだか悟りの境地のような。
書けてます?
たかだか私が努力獲得してきた事など、
私なりには寝食忘れて子育てしながら命懸けだったけど、
物理的な身体が生存して機能して…
…
…
思考では解ってます。
ただ身体が。
思考も虚血っぽいのか、
メニエール症状が治まらず、
娘や息子の社会不適応ケアのフォローがもう出来ない事への不安が限界を超えて、
何だか思考や心に力が無くなって、
薬を飲んだ訳でもないのに意識が遠くなります。
また強度の鬱再発かなあ…
また偏見と孤立の日々かなあ…
もうよく解りません。
ちゃんと通院してるのになあ…
大学にいくら投資すればいいんだ?
…と、ふと思いました。
楽しくても仕事でも家事でも忙しい世間、
経済中心活動で日本や世界が忙しく生きてきて長くなりました。
それで心が亡くなってるのなら、
欲望と経済も繋がってるし、
何より亡くすと意味されるここでいう『心』とは、
そもそもどのようなモノを意味しているんだ?
少し覚醒してきた。
あれ?
忙しいと亡くすモノを心とラベリングする、とすると…
構成要素は具体的に何だろう?
はて?
今はまだ詳細に考える力が湧かないから、
やっぱり力をチャージしよう…
それにしても気になるなあ…
私、当たり前、が、何が疑問を持つ事を恣意的に搾取され、浸透するように洗脳されると考える人だから、
この当たり前は本当に必然なのか?
具体的にはそれは何だ?
隠された意図は?
自分にその意図は本当に必要か?
強いられてはいないか?
普通や世間は気付いていない。
だから頭がオカシイと言われる。
言われる筋合いは全くない。
真の他力本願の意味も解らず、ただ無責任に置換してしまい、集団になって自分たちの過ちへの裁きや指摘を無かった事にする。
違和感感じまくり。