被写体として必要な事。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~



…研究者はずっと引き籠って研究しているわけじゃない。確かに屋外に出る時間は限られている。研究そのものや事業の準備、経費申請書類など事務的な事、授業の準備、研究発表の準備、論文執筆、研究室の取りまとめ、博士学生になると、研究室のスタッフとして立ちまわるので、下級生を引率したり、研究室主催で国際会議を興し、海外のVIPを招くとなると、諸先生方との調整、時には総長との調整、また国際会議では、せっかく訪れてくれたのだから、と、バンケットなどで、京都を堪能していただかなくてはならないので、京都の文化にも精通している必要がある。

ザッ!とこれだけのデスクワークだけでも24時間じゃ足りない。

そうして、いざ、相手方の前に立つ場合、被写体として映える必要がある。少なくとも清潔感というかステレオタイプに自分の身体をはめる事が望ましい。事実、所属していた研究室は、秘書(事務補佐員)からして、結構な美人が数人いた。これは男子学生が多いので、彼女たちと事務処理についてコミュニケーションをすることを楽しみになってもらうと研究室に来るようになるからでもある。学生にとっては美人のお姉さん的存在だ。当人は、研究室の研究アピールのために、まず発表を観覧・視聴していただく必要がある。タイトルからして内容を忠実に再現しながらも、興味がもてるキャッチーな文言にするらしい。そうして、登壇者がアナウンサーやナレーターに負けないくらいの聴きとりやすい声で、まとまりがあり、発話する速度もよく、専門的でありながら解りやすい資料とともにプレゼンテーションできたら、もっと効果的。加えて(これも結構重要だが)登壇者のルックスが良い場合、尚更、オーディエンスは友好的に
話を聴いてくれる確率が格段に高くなる。

世界的な著名な先生に(本当はその真の実力を理解しきれていないとしても)バンケットで「先生、○○大学の□□先生(有名な先生からすると学生のころから知っている当時教授になり指導教官となった先生)のところの学生なんですけれど、御写真ご一緒させていただいていいですか?」なんていってみると、女子で特にまだデビューしていない卵の学生がひとりでなんてその道の大家に言えないから、数人ではにかみながら御願すると、ほぼ100%の割合で応じてくれる。そうして、写真を撮ってくれるのは、かなりの先輩。該当国際会議の広報担当になった先輩はデジタル一眼レフを持って、会場をうろうろし、あちこちの参加者を撮影し、会議のサイトに後ほどアップする。国際会議の様子や、アップロードして読める論文は、専門家しかないので、厳密には一般に言う不特定多数という意味とはかけ離れているので、割と顔が映っていていも問題ない。
その時にカメラ担当の先輩にしたら「俺はいままでずっとご遠慮してそのような事言えなかったんだぞ」という想いがあるので、女子学生たちで囲んだその道の大家である世界的に有名な先生の撮影をしたあと、すぐそばの直属の後輩に「す、すみません。私も一枚だけ御一緒させてください。」という事が往々にしてある。
ということは、そのもじもじしている女子学生たちは、大先生にも喜んでもらい、先輩にも長年の夢のきっかけを提供することができる。(工学系だから女子少ないからね)

他には、プレスリリースを各報道機関に出す事がある。この場合も、女子学生が少ないので、レアな画像だからと、新聞社やテレビ局が先輩のシステムについて手伝っているだけなのに、女子を被写体に入れてそのまま紙面に載せてしまうこともあるし、放映してしまうこともある。私は、当時、激務で153センチ40キロだったので、若く見えたのもあるのだと思うけれど、その被写体の一人になってしまった。これが後でえらいこととなる。先輩のシステムを子どもたちに使ってもらう実証実験の様子だったのに、私が映っているシーンが圧倒的に多かった。(NHKさん、なんということを!!)そうして、報道は「このような内容で放映します。チェックしてください。」なんて連絡してこないので、それを楽しみにしていたプロジェクトリーダーの先輩が画像のタイトルと被写体の頻度の内容合致していないじゃないか!!!という学術的な憤りをなんとNHKは連絡とれないから、被写体である私に向けられてしまった。
唯一感性が似ているというか、性別年齢に関係なく、感性(研究のアプローチの方向性、熟考する方向性)への理解がある先輩だったので、この事件は、私がそれから研究を続けていく上で大きな障害となってしまった。
また、皆さん、学者なので、偽造や虚偽という世界はタブーなので、教授会でも「この学生が被写体になった頻度と、うちの女子学生の割合とが合致していません。これでは、対外的に学生の割合が誤解されてしまう可能性が出てしまった。」と会議の議題になってしまったらしい。(これを発言した先生の研究室には女子学生は皆無)
現在、教授になられた、当時、大学院の専攻のサイト管理をしている准教授は、初対面の時に(正式なオファーの前にこっそり御正月の時に研究室に内偵にこられた。この時、大所帯でありながら研究室で研究をしていたのは唯一私だけ。子どもたちを家で遊ばせている隙に、という意味では、一般的な御休みも貴重な私には限定された研究時間。)、教授が案内していらしたので、きっと関係者だと思い、手を止めて丁寧にお辞儀をした。普通?の京大生からすると、(誰?アレ?)てなもんだろう。そこは年の功?(笑)というか、一般企業に就職していた事がある私は、学外の方が社内のどの方のどのような御客様かを瞬時に見極めないと大変失礼な事になってしまいかねないので、身につけていた能力だといっていいと思う。

後日、同期に「こないだの御休みの時、ひとりで研究室にいたら、教授が誰か先生を連れていらした。私の知らない方だったんだけど、今、席が空いている准教授候補さんだとすると、心当たりある?」と訊いてみたら、「あ、ナントカ先生じゃないかな」という回答だった。教授の以前の部下であったらしい。それぞれが別の大学で研鑽を積まれ、その時、満を持して教授が今度は准教授として呼びもどすために、連絡したようだ。
その来訪された先生は、前大学に在籍している学生の都合で、4月にすっきり着任というわけにはいかなかった。けれど、同期に確認していたので、偶然、東京で滅多に開催されない、その筋では超有名な国際会議を誘致でき、開催された時に、当然その先生とはすれ違う事がなんどかあり、お会いするたびに会釈していた。割と人見知りされるというか大変論理的で理知的で礼儀正しい寡黙な先生でいらっしゃるようでした。
それで遭遇するたびに会釈する私に当初は戸惑っておいでだったけれど、これが前提にあったからこそ、私も無事着任された先生を、持っている人見知りをどうにか堪えて御迎えすることが出来た。
その方は、赤門の大学院で数学博士を取得されている。私の一番の憧れの「数学者」。研究に関して、本当に論理的で厳しい。でも理路整然なので思考が整理できる。なんでもあり、の、指導教官(すいません)とは対極の人だったので、基盤に発達障害を持つ私は理路整然と説明された方がスッ!と頭に入る人間なので、「やっぱり数学は美しいなあ」と思えて幸せだった。

で、この先生は、日本での同業者では、その年代のイケメンコンビの片割れだったらしい。(今はたんなるオジサンだけど。先生、すみません。)
だから、研究とかではなく、今度は着任してから、研究の事で御邪魔したいのに、秘書さんが何かと用事を作って、先生の時間を取り合いになってしまったりした。懐かしい話だ・・・(勿論妻帯者さんである)

で、そんなこんないきさつがある先生、は、私の背景も教授から聴いていたのか知らないけれど、どこかしら応援してくださっていたのか、優秀な学生にまぎれて私の研究の画像を美しくフラッシュに変換してこれから進学を目指す人に向けてのHPにアップしてくださった。
これにも、また、女子学生が目立つのを嫌がる、殆どの男性に、なにやかんやと言われたらしい・・・。
やっぱり、当時の旧帝大は、こんなだったんですかね・・・。

とうとう、私は、心が折れ切ってしまって、無理解というよりは、知能は高いけれど社会性が低いひとが集まっているところなので、倒れてしまった。倒れてもそれでも、子どもを育てていくのに、この虚弱な私では身体を張る仕事はできない。さりとて当時の潜在的な考えでは、ひとり親で子どもがいるというリスキーな人間でもやとってもらえるだけの、一般よりより秀でた実力が必要だと覚悟を決めて、それこそ命がけで子どもたちを育てるだめに、男社会に飛び込んだのだけれど、結果は、上野千鶴子氏が指摘した通り、どこかしら「出来レース」なところがあったと今では振り返っている。
旧帝大や有名大学で女性が家庭を持ちながら、活躍できるためには、旧帝大の力ある新進気鋭の先生と、結婚している人が多い。
また、そうなると、実家の親が学術界を知らなくても、先方の家が代々そういう家系だとしると、応援するようでもある。
そのような配偶者に恵まれた女性研究者は、周りのサポートが背景効果に弱い一般人をうまく取り込める。

私は、進学するんだから、学術。ひとり親なんだから、再婚なんて当てにしていない。(未成年で親に依存するしかない子どもの心の負担を考えると)
という考えだったので、私の感性に理解を示してくれた先輩や、私がその感性に憧れて教えを乞いたかった先生に対して、男女の関係を噂する人がいつの間にか出来て、それが巧みに私の進路を阻害する方向へ持って行かれたと今なら解る。
上野千鶴子さんのゼミに通った遥洋子氏も「男性のみならず、女性が働こう、より、専門的にそうしようとすると、同性で応援してくれると思いがちな女性が実は敵となる」と著書で指摘しているような事が、本当に理科系でも起こってしまった事に私は相当ショックを受けた。
それもあって、なにもかも、総崩れ。
奇しくも子どもの不登校が重なった。そのような子を我が孫でありながら奇異な目で見て、パニックを起こす実母の心配という名に変換してしまう詮索にももう疲れ果ててしまい、
母子三人で世間に心を閉ざしてしまった。

経緯も書いたので、脱線していたように映ると思う。
けれどタイトルを狭義に説明しても、そんな事は当たり前にやっていた。普段しない化粧も学内の教授陣相手に進級試験がある時は(大学にもよりますが、そのまま研究をしてもよい成果をあげてきたのか、そのまま博士論文を執筆する準備に入っていいのか、の厳格すぎる試験があるのです
いつだって「知」の戦場でした。だから、英語では、ディフェンス・イグザミネーションと言います。)スーツを着込んで、決意を込めてマスカラを塗ったりしていました。私とって化粧は、戦への武具や防具みたいなものでした。
やりますよ、徹底的に学問するんですから、徹底的に体重管理もしましたよ。自分には完璧主義でしたもの。人さまには求めません。それぞれの生き方がありますから。

なぜ、このタイトルを書いたかというと、倒れて、鬱病になって、抗うつ剤を服用して、ただただ寝るようにされると、代謝もおちて、太るし浮腫むし、大変なんです。
身体は動かない。世の中怖い。で引き籠る。料理する元気がないから(怪我したり火傷したりするし)出来あいのものを食べて益々太る。
そうして10年がたち、過呼吸を防ぐために、合唱を始めました。

ところが、このような経緯ではない、多数というなの普通という人生を送ってきた特に還暦以上の方は私の体型をからかうふしがあるんですね。舞台にたってプロのソリストとして活躍するのなら、そりゃまたあの頃のように絞りますよ?当たり前じゃないですか、仕事ですもん。私、仕事きっちりです!!
それだけ孤高の人生でした。家族にも友達にも理解されなくなっていきました。普通から遠く旅立ち過ぎたんですね。ただただついていくことだけで必死でしたから。
でも、もっとガチで洒落にならないくらい大きな女性がいるのですが、その方は自虐的冗談で自ら、面白おかしくいうのだけれど、その人にはお姉さん(もうオバサンって書いちゃおうか!)は言いません。身長も170くらいある方が相手だからでしょうか・・・。
で、私は、からかう。・・・えっと・・・実母が若いころ、からかわれてそれを真剣に取って、醜態恐怖症になってしまったので、いつも家族の他の経費を抑えても、自分に投資していて、そうして、父が太ったり、私が太ったり、弟がちょっと太ったりすると、すぐ嫌悪感を現わしました。
「体型は律する事が出来る!自堕落なだけだ!そんな人と家族だなんて恥ずかしい!!!」とご飯を作ってもらえないこともありました。
今思うと実母も大変傷ついたトラウマなのでしょうが、毎日社会人になってもお弁当を作ってくれていた祖母の事を考えると、短気に怒鳴って行動していた話を知った時は、学のない厳しい人生を送ってきて家族がたからものだった事を考えると胸が痛いです。
それに太るというのも、単に摂取カロリーの問題の場合もあるけど、私は腎臓が弱いので浮腫みますし、父方は特に内分泌系が弱いので、外見が太りやすいのです。
腎臓の脇にある副腎が血圧をコントロールするホルモンを出すので、それで高血圧になりますが、母方の方は痩せていても循環器系が弱い、つまり血管がコレステロールで厚くなりやすいので、そっちが原因で血圧が高い人や、心臓疾患の人や癌の人が多いです。

ま、要は、「自分は多数だから常識で正解。だけど、そうでない人は皆、悪。」という発想の頑強な価値観に巻き込まれたり引きずり込まれたりするのは、本当に辛いのです。
悔しいから、何年通っても声楽的にうまくならない人より、絶対、声楽経験のある人の練習をつけてくれる言葉からエッセンスを自分の緻密な感性で読み取り、よく声が響き、コロラトゥーラだけれども、まあるい、教会で歌って、聴いた方の耳に優しい声がでるようになりたい、と、他の団体のエキストラで訓練をしたりしました。
それ以外の日は倒れているけれども、練習だけは必ず這ってでもいくのは、一日でも休むとまだ初心者だから身体が響きを忘れてしまう怖さがあるからです。
初心者ですもん、当たり前ですよ。真面目に取り組んでいるんですもの。

心が痛みきっている人、御病気を持っている人、御辛い人に、エレクトリックのテンポが速い、打ちこみの、シャカシャカした周波数の音、どう届くと思います???
あるいは、気持ち悪いビブラートの音痴な固い声、どう届くと思います???

・・・それを考えて合唱していないんでしょうね。自分が華やかな舞台に立ちたい、という気持ちだけが強い人は、見栄えをけなします。
また、そうされてきて、それをそのまま「それって言われなくちゃイケナイ事!?本当に私に必要!?」と考えてこなかった人は、自分の苦しみを誰かにまた心太のように押し出して押しつけます。

というわけで、これまでに、容姿について、浅はかな理解で心底憤慨している内容について、ちょっと(これでもちょっとだよ)吐き出してみました。

世の中の人、特に自分を定型発達側において、疾患を持っている人を本当は侮蔑している人、その人の方が上とか頭がいいって自分で言っているんだから、もっと思慮深く物事を考え、厳しいところに身を置いて、ためになるから言ってくれていると思ってたよ!!!!
だから、傾聴してきたのに・・・

だから私の中に入った、私にとっては邪道で汚れた利己的な価値観、めっちゃデトックスしたいと脳が叫んで具合が悪いのだと思います。
もうずっと身体に出てきていますからね。
合唱に行っているからといって、苛められに行っているわけでも、その人の価値観を押し付けられに行っているわけでもありませんから。