昔でいうところの父方の本家に10歳上のいとこがいます。

 

いとこ(従兄)はおなかにいる時に父親を会社の事故で亡くしました。

 

時代がそうだったのか、本人が持っていた素養なのか、早熟でとってももてていたように思います。

 

伯母は身重で伯父さんの葬儀を出し、そのショックで産気づいて従兄は仮死状態で生まれてきました。

 

『神さんか仏さんか知らんけど、いるんならこの子まで連れて行かんとって!!!』そう懇願したのだそうです。

 

跡を取るだった父が末っ子ながら何かと従兄の父親がわりをしてきました。本家も譲り、のちに自分で今の実家を建てました。

 

その様子は、私にはとうに幼心に『本当にお父さんの子なんだろうか…』と映り、本気で悩んだくらいです。

 

祖父母を早くに亡くした父方のきょうだいたちは本当に力を合わせて生きてきました。

 

そのせいでそのお兄ちゃんにはよく遊んでもらいました。今考えると10歳下の私と13歳下の弟の相手はお年頃からすると退屈だったと思います。

 

お兄ちゃんに彼女が(彼女いっぱいいたけどwww)できるまでは本当に遊んでもらいました。

 

そんななぜかモテるお兄ちゃんが一番長く付き合っていてもう結婚するんだろうな、というお姉ちゃんと、それぞれの家の事情でうまくいかなかったとき、

 

「おい、ちょっと来い」とドライブに連れていってくれました。連れて行ってくれたというわけじゃなく、独りになる事に耐えられなかったのだと思います。

 

そんな年上ばかりに囲まれて育った私はどこかしら末の唯一の女の子でありながら、長女のような役割をしていたように思います。

 

「やれやれ、仕方ないなあ・・・私だって人生の今のステージなりに大変な事いっぱいあるんだよ・・・自分の恋愛だけに集中できて羨ましいなあ・・・」とか思いつつ、後部座席に。

 

その時かかっていたカセットテープがこのアルバム。

 

『解るか!?この曲や!! この曲が代弁してくれている気持ち解るか!?』って、言ってましたwww だから10歳も下の末の従妹に愚痴るかねwww

 

でも、素直な私は、そう耳にして「どんな感情が湧いているんだろう」とやっぱり素直に思い、曲を感じようとしました。

 

それで、気になったサウンドがいくつかあったので、「クレジット見せて!」とせがみました。

 

お兄ちゃんは歌手と歌詞をメインに聴きますが、私はライターさんやアレンジャーさんやスタジオミュージシャンさんたちにすでに興味があって、ジャケットをくなまく見る事が慣習でした。

 

そこで、知ったのです。角松敏生さん、小林武史さん、佐藤準さんを。

 

A-5は入りのコーラスがいきなり心わしづかみだったし、Bに入るとしっとりアコースティックピアノが聴けたり、少女の私には本当に御馳走なアレンジばかりでした。

 

思春期に入る頃に聴いた曲たち、それを構成している楽器とその音色たちが、私の基盤なのだと気付きました。

 

気に入ったベースラインもあれば、ホーンもあるし・・・

 

今、ヘッドフォンじゃなくて、音声だしていたので、となりで聴く事になった息子は、このアルバムの事は何も知らないのに、自分が好きなゲームのシーンのうち、シーサイドのシーンを想起して何やら話始めてびっくりしました。

 

音の像が、息子を感化したんですね。それが見事に海のシーン!

 

音の像が見える楽曲との出逢いがあった事、なかなか大変な人生だけど、そこだけは幸せなんだと確信していいんだと。

 

物理的な財産はないかもしれないけれど、心の財産はいっぱい共有されているのだと、あるのだとそう思ったらなんだか満たされて安心しました。

 

そうしたらまるでおなかが膨れて眠くなった子どものようになんだか眠れそうです・・・(安定剤飲みましたけどねwww)

 

そうなんです。時節柄、10月中旬から冬至まで季節性の鬱が強くなっていくので、今この状態でも、昨年よりは微細な差だけど、自分をどうにかこうにか保てていると思います。

 

いろんなたくさんな想いがバースト的に湧いてもいるけど、昔のトラウマにも、幽閉された価値観にも襲われているけれど、そこには不器用さんとの心の交流があったのだと気づけたなら、決して表面的な辛い事ばかりじゃない。

 

そう思います。