自分の限界をとうに超えているのに頑張り続けてしまう、という発達障害というものを私は持っています。
馬鹿正直に言葉そのままにしか理解できないといわれています。
しかし、私がそのような人の限界を超えて努力しないものは生きている資格がない、というような価値観を刷り込まれたのは幼いころです。
幼い子どもが、はたして「言葉の裏」を読めるでしょうか?
ましてや、それが親だった場合、影響力が命やこれからの人生に関わるほどのものであるのではないでしょうか?
『人より、ドンくさくてアホなんやから、人が寝ている間も病気で休んでいる間も、寝食を忘れて勉強しなさい』
戦前の兵隊に言うようなセリフです。これを物心ついたときにはとうに言われていました。父がよく生前行っていました。『四当五落っていうんやで。四時間睡眠で勉強した人は合格するけど、五時間寝てしまったら落ちるんや。その一時間で人生が左右するんやで。』と。
私は、以来、寝るこが怖くなりました。睡眠をたくさんとると人生が全否定されるようなものにしかならないと、心底信じてしまいました。
いまでこそ、心身の回復にも役立つ成長ホルモンの分泌が22時~2時までに出やすい(体内時計にもよると思いますが)のは周知の事実ですが、
全く文系、しかも経済経理のことしか知らない両親は、これまた困ったことに、私のようにいのちや生業や生活に関わる自然科学系(理系)を専攻する人間を異なる価値観ということで、どこかで排除していました。
身体の成長も心(精神)の成長にも理解を示さなかったのです。
勉強が出来ると四年生大学に行け、そうすると旧財閥系の商社に就職でき、将来安泰で、何かあっても助けてもらえる。・・・そう信じて疑っていなかったのだと思います。
だから、様子を見ていて、その枠からはみ出しているように思うと、誘導型ではなくて、否定型で強迫的な言葉をつかって強引に迎合させる育て方をしました。時には学校の先生もつかって三者懇談の際に、大人二人、しかも親と先生という組み合わせで、強迫的に勉学を強いられました。
ご存知の通り、日本は広義の教育にも狭義の教育にも、国費を使わない国です。先進国の中で女性の官僚や役席がいないのと同じように酷く偏って使われません。ですから各家庭の負担が大きいのですが、うちも一般サラリーマンの家だったし、父は祖父母を早くに亡くして奨学生の身でしたから、色々経済的に無理をしていたのです。
それを、娘の私で一発逆転のように持っていこうとしました。潜在的に今でも男女は機会も含めて平等とは到底言えない社会なのに、です。
見抜けなかったのでしょうね・・・早生まれへの偏見から始まって、内向的であることや、女性なのに理系であることや、女性なのに美容に関心が無い(関心をもつ年頃に「そんな暇があったら勉強しろ」といったのに不細工だと乖離しているダブルスタンダードで育ちました)などなど、本当にいくつもの整理されていない混沌状態の矛盾した願いをいっぱいいっぱい期待しました。
ひとつ達成したら、欲が出ていきました。キリが無かったです。
ですから、その私が障害を実は持っていたという事実も受け入れられなかったでしょうし、劣等生であったりゆっくりさんであったり、感性が豊であったり、自然科学が好きだったり、芸術が好きだったり、要は「効率よく有名で高級な仕事に就く可能性が低くなる」素養に対しては全て否定され、取り上げられ、見放され、見捨てられました、こころを。
物理的にも、下着は中学生になったころから、ためたお年玉で買ってたし、高校になってからは進学校というのにアルバイトしてじゃないと勉強に関する以外のものは買ってくれませんでした。食事もそうです。
勉強しなさい、といいつつ、『女性なのに太っていて不細工だ』という「一体何足の草鞋を履かすの???」状態でした。でも、親は気づいていません。それが出来ること、つまり親の期待にどこまでも応える事こそが親孝行だと勘違いしていたのです。
そんな価値観の基盤を持つ私が、自分の障害を受け容れることが至難の業なのはご理解いただけると思います。ですから自分で自分をついつい追いつめ苛めます。身体や精神が崩壊するまでやってしまいます。なぜなら長年親に無意識にそうされて来たからです。
でも我が子のこととなると私はスイッチが入ります。でも長期にわたりそのように精神的に虐げられてきた人間なので、やっぱりスイッチは入りすぎるのです。
ですから、当事者同士のサイトをネット上の自助グループとして活用しています。『LITALICO発達ナビhttps://h-navi.jp/』というサイトがあります。メルマガも読んでいます。今回は脳性まひのお話でした。
発達障害があることが解り(ということは私の両親それぞれに因子が30%ずつあるということです・・・理解できないだろうし否定するだろうから進言していません)、子どもにもその特性が部分的であれ遺伝してしまったでしょうし、それを誘発する古い偏見だらけの価値観の町・京都で生活していますから、このサイトは必要ですし、まだ発達障害でさえ、家族それぞれ特性がマーブル模様のように違うので理解と対応だけで精いっぱいです。
だからこそ、今ちょっと雨に打たれてシャワー浴びて、息子とマロンが昼寝をしてしまっているので、今回のメルマガの脳性まひを理解してみようと思いました。
理解しようとするとき、気をつけていることがあります。これは自閉的な人間の特徴である「素直すぎる」側面を良い方向に使います。先入観を捨て、研究の言葉を素直にストレートにそのまま理解しようとします。解らない専門用語や言い回しがあれば調べて、それでも解らなかったら質問します。その業界の人は理解そ促進したいと願っている人たちなので、理解しようとしている質問には快く根気よく何度も丁寧に教えてくださいます。
今回のコラムhttps://h-navi.jp/column/article/35026106の中に当事者の思う「自立」というのがあって、とても感動したというか、目が覚めたような感覚になったので、シェアします。
☆抜粋☆
脳性麻痺の方と家族の手記のなかに「自立」について当事者の目線で書かれた部分があったのでご紹介します。
私は身障者手帳の1種の1級を持っています.アテトーゼ型の脳性麻痺で四肢と言語に比較的重度の障害があります.移動は車いすを利用しています.食事も完全には自分一人ではできず,一部介助が必要です.2002年に結婚をし、2005年には子どももできて,現在は両親を含め家族5人で自宅で生活をしています.普段は1988年からつとめている佐世保市にある臨床検査会社でプログラミングの仕事をしています.
中略
私は今までの経験から「自立」とは,自分の意思を決定づけられることだと思っています。自分がやりたいことややるべきことを,いろいろな方法や手段を使って実現できるなら,それは立派に自立していることになると思います.そして自立というのは最終目標ではなく,自分の夢ややりたいことを実現するための1つの手段に過ぎないと思うのです.そして最も大切なことは,たった1度の人生をいかに幸せに過ごすかということだと思います.
出典:穐山富太郎、川口幸義、大城昌平/編著『脳性麻痺ハンドブック 療育にたずさわる人のために 第2版』(医歯薬出版株式会社、2015年)351ページ
出典:http://amzn.asia/8Y3AHOs
このように美しい知的な思考(こころ)でいる人となりにまずは感動しました。そうして書いておられる内容にも感動し理解をいただきました。
一般の人が当たり前に使っている「自立」という言葉。実は例もあげず詳細を語らず、ダブルスタンダードが入っていても整理せず、そのまま丸投げにして、それを成し遂げられないのは健常でも知能が低いだろうし、知的障害があったり精神障害があったらそれらの人は全て健常者より劣っている、という偏見を、シンプルかつ丁寧に知的に打破してくださった文章だとも思いました。自閉症の東田くんに対しても私はとても崇高かつ大変感性の豊かで知的なこころの美しい文章を書かれるのでシンプルに素敵だと思っていますが、本当にこころ洗われる瞬間でした。
実際に掲載されている書籍はこれです。
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脳性麻痺ハンドブック第2版療育にたずさわる人のために
Amazon |
新刊で7128円、中古で99円です。コレクターは最高額で13440円です。ということは「市場には7128円でデビューしたけれど是非読みたい理解したいという人には13440円でも売れるものだし、そうでない人には99円になってしまうものである。」という事です。(市場的に)
実際「なか見!検索」が出来ます。ちょっと読みましたが、ガッツリ専門書なので、その字の小ささ、一ページあたりに含まれている文字数の膨大さ、語彙の専門性からして、ひるまない人はいないと思うくらいの本です。そのくらい理解するのに難しい問題であり、研究であり、それを示している書籍ということになります。
多くの普通と呼ばれている人は、時代に流され、怠惰になり、易きに流れ、難しい事にチャレンジしようとしません。でも、人生のほとんどを追い込まれている私は、有難いことでその体験で培われた素養でもあります。
だからこそ、この掲載された「自立」は崇高な考えだと思いました。
「自立」にもいろいろありますが、この自立は個人的に大変美しいと思いました。
