初めての国際会議はここでした。

 

初めての海外、初めての会議、なにもかもが全部初めて。

 

関空も初めて、エコノミーで席を早期に選ばないと、いきなりビールくさいおじさんに挟まれる4席の席での12時間のフランクフルトまでのルフトハンザ(苦笑)

 

ちょうど9月頭ということで、避暑期間とぶつかってしまい、帰りはそれぞれフランス経由の先生もいました。

 

たまたま、同じドイツないでトランジットできたのはよかったですが、間が3時間とか、きつかったです(苦笑)

 

帰りはクラクフ⇒ミュンヘン⇒フランクフルト⇒関空でしたもん(苦笑)

 

もともと閉所恐怖症だったらしく、国際線に乗って初めて(最初がクラクフってヘビーな旅路^^;)、発覚。

 

女の子の都合があったけど、周りは男性しかいないので、困ったり。

 

そうそう、その間に悠仁さまがお生まれになったのです。ネットニュースで知りました。

 

この動画の冒頭の大きな池とお城、中央のマーケット、懐かしいです。

 

マーケットでは有名だというので、小さな琥珀のピアスを買いました。

 

ポーランド語ができない私と日本語ができない店のお母さん(苦笑)

 

電卓で会話しました。←ちゃっかり値切って買った♪

 

発表があった日、帰りに「人類として行くべきだ。特にドイツと同盟だった日本に生まれた人間なら。」と、教徒三行大学(読み替えてね^^;)の女性の先生に皆がひっぱっていかれ、

 

アウシュビッツツアーに行きました。こころの準備が出来ていないままに行ったので、ガイドさんに連れられて廻った色んなところがこころで消化できず、

 

みながそれぞれに撮影可能個所で撮影に興じている間や、展望台にのって、暮れゆく陽を地平線にみつめながら、『今を生きる、ってどういうことだろう???』と思ったり、

 

天国に行く順番の規則性を見抜いてしまった自分(データ工学専門なので解ってしまいます)にショックを受けたり、

 

人生を考えるのにはあまりある財産をいただきました。

 

帰国後一週間で中国の武漢への出張があり、その、いろんな意味での落差に愕然とし、現地で鬱になってしまいました。

 

今思うと、基盤に感受性の高さや、初めての事を受け止めるのに極度の精神疲労を伴う個性があるとは知らず、情報が詰め込まれすぎたのだと思います。(拾いすぎた・・・勝手に拾ってしまうんだけど)

 

先生がおっしゃる通り、武漢は止めといたほうがよかったのだろうけれど、最低年限で修了し(今思うとあのペースでもオーバードクターだったなぁ・・・どれだけみんな凄いんだ!!!)、就職できないと必死だったので、根をつめました。

 

あの年、本当に、プロジェクトがいっぱいあって、大変だった。先生が獲得した予算がとんでもなく大きかったので、その分国の期待や、活躍のフィールドを拡張するスピードが宇宙の膨張ほどに求められている事に、堪えられなかったのだと思います。

 

全くのプライベイトで、いつの日か、また行けたらなあ、って思います。

 

奇しくも合唱ではドイツ語をしているので、今ならフルトハンザの表記、ちょっとは読めるかもしれないし(苦笑)

 

人生、って、どこでどうつながるかわかりませんね。大変興味深いです。

 

さ・・・生活の続き、しよ(家事の事だけどね^^;)