突然の焦燥感、あるいは不安感が、ブワッ!とわく時があります。
お鍋の中からボワッとインチキおじさん登場・・・ではなくwww
ご縁があったクラシックを聴いてみるんですけれど、やっぱり、合唱団で既に練習が佳境に入っていたデュリュフレ(←今思うとよくついて言ったと思うwww)のレクイエムを聴くに至ります。
この曲でグレゴリアンチャートというものを知りました。合宿で北村先生が『僕たちはクリスチャンじゃないけれど、でも宗教曲を歌うときは、真髄を身体で理解する事が大前提!日本人が歌うのにはそれが必須!』とおっしゃいました。
どのようなすがる想いがそこにあったのか、などなど思いめぐらします。
デュリュフレはドイツ系が多い中で、フランスの作曲家。グレゴリアンチャートに和声をのせるとても美しい曲を創ります。魅了されました。(選曲は、福原寿美枝先生だと後で聞きました。)
『ここは、天国の扉が天地たちの歌でバーン!!!って開かれる瞬間や!!!そんなんでどうすんの!!!』というマエストロの指導が印象的です。
天使にも色々ランクというか経験というかあるらしいのですが(マーラーで知りました)、この曲を歌った時はそのような歌い分けがまだ出来ていなかった頃、
でもだからこそ、ただただ、いのちを天国に導くのに、ふさわしい声で扉を開けたい!!!と真剣に思って歌っていたのを思い出します。
私の初演に素晴らしいレクイエムを知りました。
どうも私は生まれてこのかた、送ることが多く、鎮魂ということを、どこかでいつも感じています。
震災の時も神様が怒った、と、どこかしら、思いました。
『そこまでお怒りになる理由が一体どこにあるというのですか!?』という気持ちになりました。
そうして、『どうか鎮まってください。どうすればいいですか!?』と思いました。
その時と、翌年娘がもう少しで危ない大けがに見舞われた時も、
『今の私に出来る事・・・歌を、清んだ歌を、天にお届けする・・・それが私の祷るかたち。』と、命がけでした。そう・・・懇願しました。
だから、レクイエムは、忌み嫌うものではなく、私の中ではとてもとても崇高で厳かでやわらかで素晴らしい祷りだと信じています。
いろんな動画を探しましたが、声だけで判断したかったので、スコアが流れているものを選びました。同じ楽譜で練習しました。なかなか読み解くのが難しい楽譜でした(苦笑)
ポップスでいうところの、変拍子だらけです。もしかしたらクラシックはある楽曲の中でもいろいろ調性が変わるし、テンポも変わるし、物語というか、お話によって、求められる役割も違う。
壮大な壮大なレクイエム。その人の人生そのもの。ひとりひとりが壮大。
心酔せざるをえません。おのずとそうなります。
重厚な想いとともに、いのちの安息をこころからいつもいつも祷っています。