かなりよく考える子です。
おとうさんと二歳で離れ、
おじいちゃんとは四歳で離れました。
おじいちゃんは会社で役席でした(エスティローダーのビギナーズキットを発案した人です。これからの人を対象にしたアプローチは各社の目に留まりあれからミニセット+可愛いポーチがボーナス時期に発売されるようになりました。私が就職活動を始める時期だったと思います。薄給を知り思いついたのだと思います。特許取る方向性は無かったみたいです(笑)時効だと思うからお話しますね。)。
話を父の事に戻します。
葬儀も何百人規模のものになりました。父方の親族がそうしました。父は末っ子だったので年長者に従いそうなりました。
私は父の社会的な立場というか経済界にそんな影響を与えたとは解りませんでした。
DVによる離婚が成立して直ぐで実家に迷惑かけられないと(たぶん母の嫉妬です。今なら確信があります。)母子三人で小さくて古い住まいに移り、仕事と子育てとステップアップの勉学をしながら時々子どもたちを連れて父の様子を見に行き、最後の入院に導きました。
あのままあの時代母がひとりでは在宅は無理だったでしょう。
四十九日まで初七日、十四日、二十一日、と、毎週執り行いました。
四十九日が終わった頃、私は過労で鬱病になってしまったくらいです。
その間、息子は幼子による席次の無理解を許していただけ、住職さんの隣で、まさに習わぬお経をあげ続けました。
いのち(の最期)とじっくり向き合う子です。
父は六月末に亡くなったので八月終わりまでの酷暑の中、毎日を保育園で過ごし毎週末はおじいちゃんの家に通って、お経を唱えていました。
そうした体験があるので、存在が当たり前&万能感で満ちている(そんな事にも気づいていないでしょう)の普通と言われる多くの級友からは、白いカラス状態で大きくなりました。
未熟児で生まれ内臓が成熟していなかったのでその日生きるのが大変だった我が子をそんな無理解で残酷な集団には置いておけません。
学校には行かなくていい、必要な事や勉学は、折角お母さんが博士課程まで進学したのだから、真髄を教えてあげられる、と。
そんな息子が誕生日を迎える事が出来ました。
特別派手な打ち上げ花火のような瞬間的な事はしません。
祇園祭の後祭、大阪天神祭が賑やかでいてくれます。
地上デジタル化した日だし、今日はテレワークの日だし、2020年の東京オリンピックは開催日の予定です。
特にオリンピックはアテネで始まった世界の祭典なので地球の歴史に七月二十四日は刻まれます。
息子がハリネズミ(モグラ科)をゼガのキャラクターのソニック優先で好きになり、いま遺伝子学でもある専門対象に対してヘッジホッグやエッグマンとつけられたのも、
彼の人生の歯車は確かに回っていて、余程の体験をした人とご縁があると象徴しているように映ります。
親バカ結構!!親だけの特権です



存在してくれて有り難う。
いのちを想うひとであってくれてありがとう。
こんな親孝行は無いよね。
他の付随要素があるとしたら、それはオマケみたいなもんです。
彼は彼で満たされている。
こんな美しく幸せなことはありません。
出逢ってくれてありがとう。