”蓮の儚さを・・・『みさやま(蓮始開)・長久堂』【シリーズ・七十二候を彩る和菓子たち】” | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~


 

国際会議に出るようになって自分の国の分化や自分の国民性というものを意識するようになりました。学術で討論議論するけれど、バンケットなどで交流する時の会話として、相手の国に興味と尊敬を持って質問したりするのですが、訊かれた時にお答えする知識が皆無でした。

 

とりわけ折角京都にご縁があるのだから、地の利というのはこういう部分でも活かせるのではないか?と考え、坪倉先生(森泰子きもの学院講師さん、御自身でもお教室を持っておられます。)がテレビ出演されている際に、ゆかたショーのモデルを募集しているのを知り、アクセスしました。

 

きもの学の講習に通って分化を習ったりしました。もっと簡素でいうなら研究室でも七月になると祇園さんの話が出ました。私は人込みがダメなのと、もともと祇園さんは男性のお祭りなので女性はちょっと前まで山や鉾に乗せてもらえなかったんです。(最近はOKですよ♪)だったらせめて研究室で納涼しようじゃないか、と、いう事がありました。根底には学部生や修士の学生が夏休みになる間、やっと研究に没入できるので英気を養う、という意味で決起集会でもあったように思います。

 

浴衣すら自装できないんですよね~…当時。博士課程で京都に来たので本当に研究しか行っておらず(プライベイトでは子育て)、極端にいえば研究室界隈のことしか知らなかったんです(それでも知識が足りなかった…先生の研究生活3回生からだとすると40年とかだもんな~…で学会のコミュ二ティの先生がたの歴史も相当だもんな~…)。

 

けれどもやっぱりシンプルなところに穴はあるもので、リブログした記事の中に見つけた、

 

『蓮は開花したら四日で散る』

という儚い現実事実です。

 

お盆や葬儀の灯篭には蓮の絵が描かれていたので、どうしてかな?って思いましたが、そのような事を訊ける雰囲気でも状況でも無かったのでこれまでそんなもんだ、と、単なる慣例慣習なんだと思っていました。

 

けれど、浴衣を自装する所作でさえ、最初に浴衣を手にとって羽織るところから決まっていて、それは実に効果的な算段のもとに、御着付けの手順が継承されいる事を思うと、和のもの、って、それぞれに意味がある、という壮大な数学のような事実に行きついたのです。

 

そうです、日本には、素晴らしい、『和算』の技術がありますもんね。

 

微積分や三角関数の算盤実在するんですよ!!!

 

いや~・・・和、って、なかなかやるな~、って思いました。

ノーベル賞に数学賞が無いから知られていないようですが、世界になだたる数学者、結構日本から出てて、お家芸なんですよ♪

だから数学オリンピックで日本が強いんです♡

 

そういう意味では儚さも美しさですが、それをいのちになぞらえてしまったとたん、悲しくなっちゃいますよね・・・

 

もうすぐ祇園さんやから、山や鉾が縄だけで組み立てられているところをもうご覧になれますよ♪

 

機会があったらどうぞお越しください~☆