なんだかんだで、子どもたちが生まれてから案じない緊張の無い日は皆無。自分でも…って思うけど、でもやっぱり上の子の出産の時、大病をして、ICUに入って暗室で弛緩発作予防して、一般病棟になってもネフローゼ状態が改善しなくて、二か月以上過ごしたかなあ…
季節がすっかり変わってて。普通といわれるお産だと一週間いるかいないかで皆で大喜びした退院していく。何人見送った事か。私と娘だけ病棟の重鎮みたくなった。。。
退院はそれに耐えられなくて(まあ元配偶者のやんちゃの対処もあったけど)無理に医者にお願いした。色々厳しい注意事項をいただいた。実家に身を寄せて娘の最低限のお世話以外は安静にしておくこと、湯船はつかってはいけない(疲れるから)、頻繁に泌尿器科に通うこと、塩分4gを守ること・・・網膜が浮腫で世界がぼんやりしか見えなかった。腎臓病を患った事がある人は解ると思うけど、身体がダルイってもんじゃない。毒素は回りやすいわ、たんぱくは自分から出ていっちゃうわ。。。
精神状態も、もう何かを悩むとか、将来を悩むとか、そんな余裕すらなくて、ただただ息苦しい重苦しい遅い時間を延々と生きていた気がします。
周りは普通のお産じゃないから、やいのやいの、言い出すし、元の配偶者もそうだったし、義母もそうだった。みんな長期の疾患に耐えられなかったんだと思う。認めたくもなかったのかな。
そんなこんなな生育なので子どもたちは心配です。周りはえらそうに言うばかりで実はパニックを起こして(医学的なパニックを言うのではなくここではただの心的状態を言ってます)、無秩序だわ、無理言うわ、ホント酷かった。荒れたいのは当事者だってwww
でも、それすら出来ないんだよ・・・症状重たかったからwww
だから、幼少のころから、「いざ、という困難な状態にあるときにこそ、人の真価が見える」と、直感していて、このお産の時に確信に変わったのかな・・・父の疾患のときも最期のときも「やっぱりな」という事しか周りは出来なかった・・・正直うんざりした。
これが「普通」を求める人に対する私のこころや思考への映り方です。
九州の雨でもそりゃ大変だと思いますよ、人生で経験していない事が起こったんだから。じゃあ、もっとたくさんの車が一瞬で流されて、余震がずっとずっと続いてた東日本大震災の時に被害に見舞われた方は、自衛隊に救助されたとき、「一日が長かった。もうあんな目に遭いたくない。」って言ってましたか???
何にも考えずに慣例だけで生きてきた人、いっぱいいるでしょ☆←こころの声・・・あ、ごめんなさい。気に障った方、ご退去ください。
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そうなるとね、この感受性と役に立たない肉体を持ちながらも鞭打ってやってきた事それなりにあるんだろうけど、「まだまだ足りない」と自分が自分を強迫しちゃうんです。されてきたからでしょうね。
特に母は、何かステップをひとつでも進めたら、次、次ってなったし、父も「人はいったんあげたレベルを下げられるものじゃない」って言ってた。
それに刃向って生きてきたように思う。でも、本当のところは、『お父さん、お母さん、私にそう強いるのは、何のため?私の将来に役立つため?私が厳しい人生をいきるのに必要とされるどんな素養を育てるため???』って訊きたかったんだと思う。
そうするといつも『そんなん知らん』『自分で考え』『お父さん(お母さん)はそうやって育ったから』しか帰ってこなかった。一緒に考えたもらったことなんて皆無。仕事のようにトップダウンだった。
私が児童心理学や発達心理学、教育心理学、病児心理学などなど、子どもの心理学を学ぼうと思ったのは、自分の経験から『子どもは親の従属物(持ち物)じゃない』という想いから。経済的な影響は受けるとは思う。でも本人が勤勉になろうとしているのに、どうしてそれを古い慣習で邪魔するのか、全く解らなかった。だって、口では『これからは女も男と同じ教育を受け仕事の機会も与えられるべき』と雇用機会均等になった事を言ってたもの。
でも、それとて、オウムだったのかな・・・って。もっともっと、こころやからだやちえを駆使して生きようよ・・・そうしているところを見せてよ!!!子どもに強いるのになぜ自分は怠惰なの!?って思ってた・・・
時を経て、私も父が亡くなった時まで10年必要としなくなりました。体力の低下酷く感じます。病気になって早期リタイヤを会社が心配して提案してくださったこと(生活をけっこうな水準で守ってくださりながら)を受け止められず、とうか、そうなった自分を本当に悔しく不甲斐なく思った事と思います。私の離婚の話が出た時も北野武には及ばないけれど、『身体さえ動いたら、お前らの事くらい簡単に養えるのに』と悔しそうでした。
だから、私は主治医が『よくそこまでおひとりで頑張っておられると思いますよ』と言ってくださっても、もしかしたら、父が成し遂げられなかった事をしようとしている自分がいて(男の子みたいに乗り越えたいんだね、父をwww)素直に喜ばないんだと思う。
でも身体はそんな想いに気付くことなく、容赦なしに症状を現出させる・・・そういう意味ではずっと時間が無い・・・なのに風評は容赦ない。特に誤解の風評は。
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ちょっと落ち着いたので、パウロを聴いてみた。恥ずかしながらまだ数回しかない。
どれも素敵です。並べたのは個人的にソプラノソロが好きな順ですwww 一番下の音源のソプラノさんは昔の反響板が無いころだったせいか、今の私には音酔いしてしまうビブラートがかなり含まれていて合唱もオケもいいのになぁ~…と思ってしまっちゃいました。スミマセンwww
一番上より真ん中のソプラノソロのほうが流れがあるのですが、やっぱりホールの演奏会の様子が視たかったもので上に持ってきた次第です。
そうだよね~・・・どんな事にでも意味があると思って生きてきたので、考えなく、想像なく、創造もなく、時間が過ぎたり、感想を述べる状況が耐えられないんだと思います。。。まだまだ尽くして尽くして生きたいんでしょうね。
でも・・・私に出来ること・・・今の世にあるのかな???