しばしご無沙汰したのには訳がアリマス(笑) | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

梅雨入りしました。でも今日は夏日でした。最近練習以外はほぼ起き上がれなかったりします。娘ちゃんのお仕事シフトがラストなので起きていてそれで昼夜逆転してしまっていたりもします

(*´ェ`*)

 

肉体的な疲れもさることながら心的な疲れが溜まると、いかんせん感度が高いので自律神経失調します。強く出るので困ります。

しばらく雨だったので夜になると外気が冷えたのか自分が更年期で冷汗になっているのかワカリマセン(。・ω・)ノ゙

 

・・・う~ん・・・やっぱり前置き長くね???ワタシ・・・

以前、息子の医者に『話が冗長』と言われたのをずっと気にしています。発達障害者はショックを受けた事をなかなか記憶から消す事ができません。ずっと気にしています。いや、してしまいます。自分ではどうにもできない領域でそうされるので本当に困ります。時間が健常者の平均よりうんとかかるのだと思います。

 

私は、お話をする際に、状況説明をします。これが前置きです。でないと、どんなときにどんな事を感じたのか考えたのか推測がしにくいと思うんです。少なくとも私はしにくいです。千差万別なんですから。これって私だけが心がけている事なのでせうか…(TωT)

 

せっかくお話するんですから通じないと意味が無いと思うんです。

担当医とだって通じたい。そうでないと安心して治療を任せられないし、医者だっていくつものアプローチのうち私が子どもに合ったものを選択してもらえない、そう考えています。

 

あ、また話が堅苦しくなっちゃった・・・たぶん(苦笑)

 

昼夜逆転したり、常時家族の事を案じていて緊張しているので、身体は倒れていても音や空気感で様子を感じ取ることができます。これは感度が高い人間(聴覚過敏)の利点だと思います。犬のマロン(チワワ)がいるのですが、とっても遠い、人間だと聞きもらすような小さな犬の啼き声を耳をピンと立てて聴いているときがあります。私も一緒に聴いて「あ、ほんとだ!うんと遠くでほえているね。」って観察します。マロンがそのまま落ち着いてそばで寝ると「あ、気にする事ではないんだな」ってなります。

 

動物は勘が鋭いので(聴覚や嗅覚が人間より優れているとも言う・・・苦笑)とても助かります。マロンは助けてくれています。

 

そういう意味では、鎮かに過ごしていました。

 

今、一番気をつけていることは、自身や家族の健康です。24日に本番がありますが家族の健康があってこそのそれです。(自分もだけど)だからジブリの映画の「もののけ姫」の山狗(神)モロのように「その時」を待ちながら身体を休めています。

 

練習の際は毎回発見をしています。声楽家さんの指導をすぐ実現できるわけはないと思います。その時出来ても、別の機会や、別の場所、その時の体調、気候によって、楽器は質を変えてしまいます。温度や湿度に影響がないはずはありません。

 

上の医者にはある時憤慨して『ええ加減に先生が適応できてや!!もう10年待った(先生の様子を見てきた)で!!!』と診察の姿勢を糾弾した事があります(苦笑)10年観察して決断しました。10年待ったらもう医者の成長に『遅い!』と言ってもいいでしょう?(笑)つまり10年くらいは緻密に観察しながらウンウン試行錯誤する人間である、という事です、ワタシ(笑)

 

声楽に対する今の私の考えは、発話も発声もどこにいってもその場所の状況に応じて身体の動きを適応させる事が出来ないことには、安定して質の良い声を出し続けるはずがない、です。

 

というわけで、練習ではたとえば、『今日は座って歌ってみよう。どこを意識したら(音楽的声楽的に)よい声になるのかな?』という課題を見つけて自分を験してみています(笑)こないだは、座っていても鼠径部に力点を置くと声がよく伸び、深みが出る事を見つけました。そういえばそう指導された気がする。で、今、それを実現するためには、その練習場の椅子にどのような姿勢でどう座るのか、を見つけたくて、もぞもぞしながら歌っていました。とても落ち着きの無い大人に映ったと思います(苦笑)

 

・・・他にもいっぱい散歩しながら緑を見て、風を感じながら、次々感じて、次々気付いて、それこそ心無い言葉や態度に傷ついた自分の心を応援しています。

 

でも、それをいちいちブログに書く事だろうか?という事を悩んでアップできませんでした(笑)何より気付くときって相当溜まっていたものが一気にあれもこれもどれもそれも解決しちゃう人なので、本当に数多で書ききれません。前置き長いし(苦笑)一気に何個記事アップになるんだ???てな事になっちゃいます(爆)

 

それで今のところの結論ですが、あくまで私の感覚と感性で営む家の事や子どもの事や人間関係の事だし、それらは医者や先輩や先生からすると、相対するのはとても多い人たちだから、それぞれ個性があるとすると、それは千差万別で複雑なんだから、せいぜい断片を説明するというだけでもその人たちがそれぞれ持っている言語が決して辞書式ではないので(私は辞書式で語彙を習得します)、やっぱり複数を相手にする人には特に、

 

状況説明という名の前置きは必須だと思います。

 

 

こうして私は、言われた大変ショッキングな文言は、やっと、たとえば息子の担当医であるという社会的地位や責任の質が高いと思われている人の『話が冗長すぎる』という『僕のしたい診察時間には限りがあるんだから、僕がわかるような文言で過不足無く的確に迅速に説明して』という理不尽で一方的な訴え(言い訳・・・笑)に耳を貸す必要は無かったし、傷つく必要もなかったと、いう結論に達する事が出来ました。

 

とても年月をかけ、かなり深く緻密にシチュエーションをそれぞれ変えて考え、実際に体験してみて模索し、『もうこれだけ探したんだから、無い、という結論にしていいだろう。さて、纏めよう。』と知識を整理します。

 

もう、きっと、あの時の担当医はいないだろうし、言ったことなんて忘れてるだろうけど(怒)私が私にケリをつけるためには必要な事です。やっと、

 

『相手が誰であれ、実際に受け留めて生きてきた私は、傷つく必要は無かったんだ。』

と、自分自身を開放してあげる(ほめてあげる)事が出来るのです。

 

まあ、それくらい深く考えて生きているので、あまり考えもなく口先で結論を出す人には何人たりとも迎合する必要は何ら無いんですけれどね(笑)それでもやっぱり私は、学歴コンプレックスかなんかのか、法曹界の人・・・はそうでもないか。えっと・・・研究者や医者や政治家・・・などなど社会的地位や影響力がある人の言葉を無視していけるような生きる強さがまだまだ足りません。

 

一方で、思慮の浅い人は流行りという水面をスイスイいくようなそんなスタイルがイケテルと勘違いしていると私は捉える事にします(苦笑)

 

老若男女、仕事など、関係ありません。その人自身がそういう人だ、というだけだと、これでやっと思えました。

 

10年かかりましたが、やっと少しキリがついてほっとしましたくまクッキーうさぎクッキーハート

 

http://allofbach.com/en/bwv/bwv-244/

あ、マタイはこれで練習しています。素晴らしいです。