中学校の同級生に佐藤愛美ちゃん、っていたんですよ。一年生の時かなあ…(遠い記憶なので怪しい^^;)
で、彼女、ある時火傷してたんですよ。「どうしたの?それ。」って訊いたら”アイロン当てちゃった”って。
「え?制服で?」”ううん。家のお当番やねん”って。
(へ~…家族の洗濯物のアイロンがけやってるんだ~…)って感心した。
また別の日には、突然猛烈に髪の毛がモンチッチみたいになった。まあ運動は達者だった彼女だけど部活がそれほど激しいものでは無かったと思う。だからまた「どうしたの?それ。」って訊いた。
そうしたら”自分で切っちゃった”って。
(ええええ!自分で?全部?後ろも?だって、モンチッチだから凄い段入ってるやん!!!しかも後ろも均一やん!!!)
「へ~…凄い!!!なんでも自分で出来るんやね!!!」
”いやいや、家が金持ちやないだけやんwww親は共働きやし、気分で髪の毛切るのにお金ちょうだいって言えないもん。弟おるし。”
って。
私もお姉ちゃんだけど、家は母は専業主婦か、あるいはほんの短いパートのみ。だけど洗濯物の取り入れや何かと用事を言われて弟はしなくてもよかった。だからか、愛美ちゃんへなんだか申し訳ない気持になるのと同時にカッコイイな~、って素直に思った。それから愛美ちゃんの事が憧れの対象の一人になった。
(お借りしています。画像ソフトでハーフアップの位置をちょっと修正。もちろん私の髪の色はもっと黒いよ~。)
高校生になってからは流行りに敏感になった。フツーの女子。まとまった休みにアルバイトが出来るようになったので、それを大切に自分の本当に好きなものに対してだけ投資して、あとは本当にコツコツしてた。だからレイヤーが流行ったら美容院に行き、ストパーが流行ったら下敷きみたいなのをジャラジャラ重たくつけて隣のオバサンを仰天させたwww
でも、なんだか必ず、どこかしらカットが気に入らないことが毎度だった。施術二週間以内は無料修正だけど行きにくかったし、カットが下手ということは施術範囲外かもしれないし、何よりカットが下手(何回も言うなwww)ということは、また行ってもやっぱり気に入らないのだろうと推察したから自分で修正してた。でも愛美ちゃんみたいに全部出来なかった。
昨夜カラーリングした。その時は思い出していなかった。でも今日になってまたジメジメな日を送り、エアコンかけても癖が年々出て来ている髪は爆発状態。息子が生まれた後、縮毛矯正というものを知り、ずっとやってきたけど、震災以来なんだか自分にそれだけのお金と時間をかける気にもならず、カラーリングもカットも我流でやってきた。髪は長いと縛ればいいので、らくちん。片腕にいつもゴムを通しておいて、必要な時に縛れば邪魔にならない。
・・・・ってやってきた。けれど、なんだか、今日は何かに気付いたことが集約されちゃって、それらがあふれてきちゃって、自分で久しぶりに剃刀カットしたwww よく思い返すと懐かしい施術www 最近はそぐと痛むのでやらなかったけれど、内側のとんでもない癖毛だけすいて、なぜかこの歳で表面の天使の輪が光る部分があるので、そこは大切に残して他は超ザクザク。禿げるんちゃうか、くらいザクザク。たぶん切ってはイケナイ(ダサい)ところもザクザク。面白くなってくるとやめられない性質www
で、今一度お風呂に入って、剃刀で切ったところに入念にコンディショナー入れて、シャンプー。わー、こんなところ癖が強くなってたんだ・・・くりんくりんやんwww ストレート無いやんwww でもまあ縮毛していたころより断然髪は元気。
そうして、佐藤愛美ちゃんの事を思い出した・・・当時は京都に住んでいなかったので京都の佐藤愛美ちゃんじゃありませんwww
元気にしてるかな~…転居ばっかりの人生だったので懐かしい人が消失して行くんだよね…さみしいなあ…その分新しい出会いがあるんだけど、子どものころの、あの竹馬の友、という存在が私の中には継続していないから、まるで土の中に根が生えていないみたいで不安定なのかもしれない・・・
でも、愛美ちゃん思い出して、あの時より『ひとりでできるもん』になってる自分が、憧れていた分、嬉しく思いました。あと・・・
私、自分の家族にも苛められていたから、自分で出来ると意地悪で「やってあげない」で困ることが消失していって、これまた心が安定するのです…佐藤さん、下の名前がどうしても思い出せなかったけれど、シャンプーしてタオルドライしているときに「あ!」って思い出したwww
Eテレの「ひとりでできるもん」好きだったのもそれでかもしれない。初代舞ちゃんのときに見ていたから、舞ちゃん役の平田実音ちゃんが若くして肝不全で亡くなったの、本当に辛かった…
ってな、今日を送ったりしています・・・ほんと悩むというか考えて不思議がってどうしてだろ?なんでかな?ってなってばっかりwww