ひとりでいると、気がまぎれなくて、いつもの通りサバイバーズギルトに苛まれて仕方なくなるのです。
私の周り、なぜか、これまで、何かあると、何かのせいにする人が多かったです。誰のせいでもない事もあるし、責任転嫁なこともあるし、そもそも責任をその人だけに偏重して負わす事も無いのに。
人は予期せぬ事が起こると、驚きます。そりゃそーです。人間そういうものです。ただ、私は感受性が高く、文字にひっぱられ(=実直、と表現した方が近似かもしれません)、発した当人さんがパニックを起こしてたからそうしたとしても、
①そのような汚い人を追い詰める語彙をこの人は持っていたんだ・・・という裏の顔を知ってしまったショック。
②抑揚がキツイ事実にたいするショック。☆
③発せられた言葉を辞書的に本当に信じてしまう特性。☆
④①&②&③がきっかけで、他人と自分の境界があいまいになってしまい、自分の事に対して当たり散らしていたり起こっていたりしても、あたかも自分に言われているように感じたり、いつ今度はその刃が自分に向けられるのか、という強い不安。☆
が表出されてしまいます。☆の部分は自閉症スペクトラムの特徴なのだそうです。
理解の無い両親は(少なくとも両親ともあるいは片親から遺伝確率があるはずです)、
『なぜ出来ないんだ???』からはじまり、
『出来の悪い子をもったら親が恥をかく』になり、
『人よりバカでドジなら、寝食を忘れておいつきなさい。全部の試験、100点なら、自分の行きたいような人生に向かえるでしょう?』と詰問されていきました。
人さまと同じになるまで、と言ったはずなのに、いつのまにか、常に100点を求められ、そのうち『平均点は最低点』と言われるようになりました。
99点で進学校(高校)の数学実力試験(模擬試験)で学年一番を取った事があります。親には言えませんでした。『なぜ、ひとつ間違えたの???』と詰問されるからです。『詰めが甘い』と情けないと感じている落胆の顔を見ないといけないからです。
丁度、昨日、あるブログに書いてあって初めて知りました。
☆あまりの高望=追い詰め☆
…と。それをずっと強迫的&脅迫的語彙を浴びて私は育ちました。困った事に博士課程まで踏ん張れてしまったんですね・・・。
もっと早くに倒れて居たら(途中助けを求めましたけれど簡単に却下されました)挫折も大きくなく、新しい進路というか生き方を探す余力があったのでしょうが・・・随分と長い間倒れる事になってしまいました。
素人なりに本当に専門家ほどに勉強してきたからこそ出来る、客観的な精神医学見地から改めて生育歴とまとめながら診断していただきました。初診なので1時間以上聞いていただきました。ただ時間で言うと、辛いことを思い出す時間が物理的にそれだけ長く、また深いので、相当な精神の負担をも並列で経験しました。
『よく勉強されてきましたね。そのご理解の整理で概ね合っていると思います』と言って頂き、ものこごろついたときからの機能不全家族での長女の役割と強いられてきた矛盾概念で辛かった事をご理解いただき嬉しかったのですが、当時に診察机に突っ伏してしまうほどのショックでもありました。
『は~・・・なるべくしてなった精神疾患だったんだ~・・・』と。
でもお医者さんは継いで言って下さいました。『これからの残りの人生、自分の心の幸せをどうどうと感じて生きていきましょう。周りの人はどれだけ努力しても理解にはあと一歩足りなくて、好き勝手な事をいうものです。そのようなある意味あなたの人生に無責任な言葉に振り回される必要ななんらありません。皆さんのご支援をいただくくらいなら病人は一生暗く引き籠って楽しい事をしてはいけない、なんて、そんなバカな事はないのですよ。』と。
野間先生・・・ありがとうございます。娘の自傷の件も、『ご本人本当に辛かったでしょうね~』と言って下さいました。やっぱり吾子の事をそう思ってくださるのは母として嬉しく、また本人にも『直接診察してもらってないけど、そういってくれたよ。あの先生親身になってくださる先生だね。10年同じ病院にいたけど、仕組みでかかれなかった。同じ空間にずっといたのにニアミスが10年だよwwwそうして幼少期からの謎や混乱が”そりゃ混乱しても仕方ないです”と認めていただけた・・・これまでの人生がやっと解決に向けて整理できた感じ・・・これからはこれまでの事を鑑みてこの方向性で科一同で合流して治療していく事で大丈夫、と思います。』と、いくつもの小川が合流するかのような診断をいただき本当に救われた気がしました。(混声合唱の『筑後川』思い出しちゃった☆高校一年生の時の課題曲でした。)
というわけで、もう、母の母をするのはやめにしました。もう自分の人生を生きていかせていただきます。そりゃ「その時」はかけつけるでしょうが、慌てて冷静な情報が伝達されておらず混沌としていて英断な連絡が無いうちは、それらすべて丸投げでやらされた揚句、周りの感情の思い通りにならない時は、末のきょうだいの子(姪)というだけで、父の最期の時も、どんな時もまあ、それはそれは当たられてきたので、もう子を持つ母ですし、まだ子ども達は医学的にゆっくりで手がかかるので、そちらを優先したいと思います。
その上で、今日は、合唱に行きました。仕上げの二カ月になっていて、3クール目に入ったマタイ受難曲。命を想う時、やっぱりマタイのアルトのアリアが脳内で勝手に流れて来たので、私は歌に救いを求めたくなりました。同じ合唱団の先にそういう体験をした御姉さんにご相談したところ、『こういう時期だからこそおいで♪』と言っていただきました。研磨研鑽して、マタイ受難曲を深く深く理解して、もちろんディクションも深く理解して、集中していきたいと思います(本番前に必要があれば合間を縫って駆けつけます。究極な状態な時に非人道的な事はしません・・・そのような団員さんが揃っている合唱団だと私は思ってます。)
おやすみなさい・・・久しぶりに出てもしっかり練習時間内に声が出せました。誤魔化していた?歌えなかった?ドイツ語も今は変に書き込んでいないパートの歌詞を読んだ方がスムーズに発話できます。まずは出演の為のオーディション頑張ります。
KEN先生のブログを拝読して、声楽的に美しい豊かなたおやかな声を出すためには、やっぱり身体が緊張していてはいけないので、やっぱり私の機能障害のリハビリのためにも声楽と、声のための全体リラックスする(自分の身体を鳴りのよい楽器にする)事は、命ある限り関わって言った方がよいということが自明出来ました。
おやすみなさい・・・(まだ歌えるのが素直に嬉しい!!!)