『なんだかもやもやするー!!!』
『努力が出来ていない気がするー!!』
『鬱積している気がするー!!!』
・・・と、なんだか強く悶々とした状態。
何かが歯止めとなって尽き抜けられない状態。
ずっと、こころの一線を超えないようにしてきました。
誰にだって触れられたくない部分があると強く思うから。
例の?実家の御隣さんの奥さん(関西弁で言うととなりのおばちゃんwww)が、連絡を続けて下さって(その方が安心)、実家の母には知っておいて欲しいけど自分から絶対声をかけるな!と念を押しておきました(たぶん守ってないと思うwww)
それでも『娘さんに慌てて間違って送信してしまった。義理の甥の嫁さんと名前が似ていたから電話帳がとなりやったんやと思う。(下の名前で登録されてるのねwww)』のあと、
『とてもとても丁寧で親切にしていただいてありがとう。』と行って下さったのだとか。
いえいえ、母がいつもお世話になりまして(彼女がどれだけ内弁慶で我儘か家族が一番知っているのでwww)、って感じだし、波乱万丈というか映画に出来る程の生い立ちを乗り越えて今があられる事、だけれども実子の急な事に関わる問題となると母として狼狽しても全く変じゃない、という確信、そうして、
何より、私が病気をして、シングルマザー(隣のおばちゃんもおじさんを既に亡くされています。)という形は亜性であれ共通項で、それで吾子や孫が重篤な状態になったらどれだけ大変だろう、と思う時、指導教官が毎回同じことだけれども辛抱強く(あの最先端を行き、新しいモノ好きで有名な方が!)まるで前の主治医のように、
『お子さんたちだけになるには、まだお子さんたちは幼すぎる。鬱を治療しなさい。まず貴女。そうして家族。学位や就職やそれからです。まず身体です。研究室には頑張らないでいいです。よい気分転換や落ち着く材料になるなら、いつでも出入りは自由です。そこに年限は決めません。』と言って下さっていた受け売りです。(それでも実体験があるから指導教官にはない文言を一行くらい付け加えたとは思いますが。)
私ね、現役?の頃、そりゃ世界で初めてだから発表するに値するんだ、というのが当たり前でいたので、内的には時々ドロドロした事にも巻き込まれて、本当にしんどかったです。事務方の女性は、最初から研究者になろうとしている(家庭の事情かつ自分に一番出来る候補であっただけ)私の人がらを未だ知りもしないうちから『冷酷。冷淡。奇人。変人。』と決めつけた人もなぜか多く、実は互いに競争相手なのは事務方同士なのに、まずは研究室全体で、ということで私だけは、女性の話の輪に入れませんでした・・・というかはなから相手にされませんでした。だから、何をどんなに苦しんでいるのか、全く見当つかなかったと思います。
指導教官には、本当に優秀なお嬢さんがお二人おいでです。東京にある赤門の大学および修士課程を修了されました。でも、お父さんとして、それ以降の博士課程には絶対行かさない、と明言されていました。どのような処かご存じだったからです。私ももれなく倒れました。既に父の居ない私でしたから、父になっていただくには若い先生でしたけれども、学部生にとってはお父さん世代の方だったので、同じ様に親に相談できない事を相談させていただきました。娘はお嬢様がたより少し年下でしたので、例の荒れた時期(お嬢様がたは荒れないでしょうけれど)にも吐露した事があります。
私は、先生から期待を貰いたかった。事実、入学して破竹の勢いでオバサンが国際会議のフルペーパー(ショート採用より格が上とされています)をいきなり遠し、持ち前?の強運と御縁で成果が上がって行きました。子育てとの両立も出来ていました。羽生君じゃないけれど、自分がまるで風になったような感覚も体験しました。アスリートのランナーズハイのような状態だと思います。14日間、完全徹夜というものもやってのけました。出来たんです!!(国際会議より難解な学内の諮問会を終えた後は、すぐ病院送りになりましたけどwww)
京大ではまだ歴史の浅い研究室だったので、慣例が解らず、女性の先輩もおらず、ということは相談できる人もいませんでした。当時は大学に女性研究者支援者センターがなく、まだメンター制が浸透しておらず、病児保育もありませんでした。物理的な支援体制が全く無かったのです。今思うと本当に綱渡りの状態だったのだと思います。そこから息子が実は学校で集団イジメに遭っていると、それに学校が全く手を打って居ない、と解り、バランスをとって凛と渡っていた綱から転落した、というわけです。
過去の縁を棄て、人生を子ども達と生き直そう、父も亡くなって、大昔から母や弟は狼狽するだけだから、頼れない、と、持ち前のお姉ちゃん気質と頑張り踏ん張りで、短期でトップスピードに持って行きました。でも、吾子は二人いて、気質も違うし、何より、そもそもの私は病弱で気弱でゆっくりでどんくさい・・・それが遺伝している・・・生育環境の方が大きいと知っているからこそ、集団イジメなんて何て事してくれるんだ!!!って。
周辺の見えない、本人らが意識していない、『嫉妬』を察知するセンサーが欠損している私は(嫉妬を自覚したからといって何か行動する私ではないので他人もしないと思っていたのだと思います)、潜在的につもりつもったそれを解っていませんでした。
・・・結果倒れます。そこで見てられなくて、指導教官や、OBさんたち、先輩、関係大学のみなさん、同期、後輩、などなど、私を知る人からは、『人生を休んで心身をまず治療しなさい。生きなさい。』でした。当時の私は、生まれ変わってリベンジしたい、という感覚でしたから、受け容れられませんでした。(リベンジしたいんだったら生まれ変わって無いじゃんwwwほんとバカだったなあwww)
まあ色々絡まって複雑なので、個人情報を伏せても連続書籍にしないと説明つかないくらいの分量と質があるので、今はこれくらいにしておきますがwww
あ、タイトルですよね??? そうそうタイトルwww
冒頭に書いた事を感じているうちに、『あー!!!私って、きっと、屈折してるわー!!!』と結構大きな声で呟いてしまったら、息子が『苦節?』というので、『ああ、苦節でもあるかもwww』とかいう会話をしていたら、突然、
『屈折、30年!!!』(苦節30年をパロったんだと思うwww)
と真顔でいいました。
あ、結構、面白いダジャレになる事多いです。
北朝鮮からテポドンじゃなくてデコポンが飛んできたり、
自律神経は失調しないで、出張するらしいし、
他にもいっぱい可愛らしい言い間違え聴き間違えがあるので、
つい、思い詰めてしまっているときに、これらが聴こえると、
ぷっ☆
って、笑えて、いい具合にリラックスできますwww
子ども達は、一見、大学もいけてないから、世間からすると学歴がなくてアホ~、かもしれませんが、学歴だけが高くて心を壊してしまった私からすると、天使に見えます![]()
親バカですか![]()
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大いに結構![]()
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親が親バカでなくてどうしますか![]()
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てなわけで、お隣さんへの対応を実母は喜んでおりましたとさ。
(たぶん長年テレがあって恥ずかしくて仲良く出来なかったのかもしれない・・・えーっ
そんな理由
うそやん![]()
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自分でオドロキ![]()
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)