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~ ゆるゆる生きる ~

 

 

困った時のHIKKIさんルンルン

 

N.Y生まれだけど、人からは「英語上手いね~!」と言われるらしい。育ちながら日本人というアイデンティティを強く感じていたそう。

 

文学も時代劇もよく知る彼女。

 

サラブレッドといわれつつも、御母さんが私のように心の大風邪をひかれ、或る日突然御別れをされた。

 

その憔悴ぶりは感度の高い彼女はどうなってしまうのだろうか、と心配してしまうほど。

 

それでも御母さんが生きている間に紹介していた人との間に子どもが授かり、いのちをあらためて感じたと言っていた。

 

『花束を君に』を聴いた時、なんとも言えない言いようの無い愛を感じた。そう彼女にしか描けない愛を。

 

うんと年下だけど、濃密な人生を送っていて、あんなに繊細なのに大胆なのは、やっぱりこういう生き方をしてきたからだと言えると思う。

 

だから彼女の魂の音は好きだし、歌詞にも言霊があると思わざるを得ない。

 

最近は、好んで、このライブ動画を観ています。

 

最近、解ってしまった事が多くてショックを受けています。解りたく無かった事。

 

私は人の好き嫌いはありません。ただ、どうしても、自分の特性から受け容れようと幾度も努力しても、うんともすんとも届かないんだ、いくら時間を遣っても、努力を遣っても、相手には、何も響かなくて、ということがあるんだ、と。

 

不可能、なんじゃなく、不能。手も足も出ない。自分に力があったとは寸分も思ってない。思っていないからこそ、力が無いと解っているからこそ、寝食を忘れて努力し続けた。

 

もうダメだ、と、何度思っても、その都度、奮起した。

 

それでも、何にもならなかった。

 

よく、道程が大切、と言ってくれる人がある。大変有難い言葉。けれど、現実は、実現してナンボのようなところがあって、実績重視のところがあって。。。

 

私は争いが嫌いなので、いえ、争うという概念が無いので、ちょっと人と競合してしまったら、どれだけ欲していたものでも、ずっと探し求めていたものでも、先方が言葉たくみであったり、容姿や能力が優れていたり、何も考えずに私が焦がれているから、欲しいのではなくて、人が欲するものを邪魔したいだけの人だとしても、

 

『それほど欲しいとおっしゃるのなら・・・機会からして全部差し上げます・・・』と辞退します。

 

そうして、自分が諦める事で、争いを避けて来ました。そうすれば、手に入れてすぐ無くなるという落差に苦しむ事も無い。それは幼少の頃から、親しい人を或る日突然喪ってしまう、という体験をなぜか数多くしていて(事故や震災や自殺など)、その心の傷が全く癒えていないし、その人の存在を記憶しておくという証明は癒えてはイケナイのではないか、と、どこかで信じているからです。

 

乗り越えろ、という人が多い。そのために治療もある。けれど、それは、言ってしまえば、自殺すると国の経済力が下がるからという到達点があるのを知ってしまっているので、拒否してしまう。

 

私はこころある人間であって、機械なんじゃないし、国民ではるけれど、国の奴隷ではない!!!国の思うペースで、元気になれるはずもない!!!神だって届かない領域はあるものだ!!!

 

人さまがどんなタイミングでどう元気になろうと、それに私は何を進言した事も無い。

 

けれど、私は言われる。

 

どうして、こんな、マジョリティやステレオタイプが、何の根拠もない確証も証明も無い自信をもってして、私をコントロールするの???

 

私の人生・・・一度くらい、私の想いや考えやタイミングや歩幅や速さで歩かせて欲しい。

 

もう形骸化する人生なのなら、いらない。もうこんなにも人間時間で何十年も自分を生きてはこなかったし、いきさせてはもらえなかった。

 

こころが幽閉されているかもしれない、と、幼少のころから感じてた。言語化出来たのは大人になってから。しかもそれでも疑心暗鬼。こんな事を想う感じる私はやっぱり奇異なんじゃないか、と。そんな子どもをもった親に親戚に友達に子ども達に申し訳ない、と。

 

そうずっとどうしてあの手術の時の事故で助かってしまったのだろう、とか、色々考えてしまう・・・

 

自分の思うようには生きられないものかもしれないのはどこかで合点がいく。だからこそ、他人という人間の思うようにも私は迎合するのはオカシイのだ。

 

これは、ごねたり我儘で言っているのではない。至って論理的だと考える。

 

やっぱり、私は・・・数理の世界観や感覚から(音楽も心もこれらに同調するものです)、世の中を見たい。それは自分の目ということ。それなりに培う努力は誰よりもしてきた。それは自分が一番知っている。命が危うくなるくらい限界を生きて来た。

 

だから、もう、幼稚な思考で、精神で、私を評価して、ましてや責めたり、転嫁しないで欲しい。

 

そのたびに、私は内的に死んで来た。やがて物理的に自分が身体を壊しにかかる。それが鬱病だ。人間は人間に鬱病にされる。許せない!!!

 

美しい狂おしい哀愁と愛と情がある音の粒には私の聴力は同調する。拒絶して頭痛になったり苦しみの種になったりしない。。。

 

この世は本当に雑多過ぎる。そういう意味でのあまりにも雑な音が多すぎる・・・

 

美しい世界に行きたい。解ってしまった。どれだけ努力しても、淡水魚は海水で生きていけないように、その逆もしかり、のように、たとえ親子関係でも、どんな関係でも、不能な事はある。

 

これを生前、父は、私に言ったのだと思う。

 

『不思議なんやけどな・・・相性って、無いと思ってたけど、あると思うねん・・・同じことをされても大丈夫な人と、そうでない人といるみたいやねん。ごめん・・・おかあさんとはなんでか相性が合わんみたいやねん・・・もう疲れてしもた・・・』って、晩年。

 

永い闘病生活の末、直接の死因は消化管出血だったけど、やがて鬱病になってもしまった。

 

真面目で、早くに両親を亡くして、実家の伯母たちが学費と生活費を内職で仕送りしてくれて、都会の大学にいったら、恵まれている人が不真面目で、自分は努力せずに人を評価して・・・愕然としたのだと思う。

 

そんな母に捕まって、不能な努力をいっぱいして、身体にも精神にも鞭打って、甘えるところは4歳の頃になくなって、踏ん張って来たけれど、最期を早くに向かえてしまった。

 

立ち昇る煙を追いながら、私は悲しみに浸るより、『おとうさん、おとうさんの人生、幸せでしたか?どんな人生でしたか?』と問うている自分がいました。頑張り屋さんや、って遺言のように言ってくれたのを伯母から聞きました。

 

頑張る事が唯一の親孝行でしたから、見てくれていたんだ、嬉しい、と素直に思えました。

 

合わない母は父を悪く言い、父の居ない間に父に似ている私は辛く当られました。母にとっても生理的な問題だったらしく、仕方ない事だったとは思いますが、幼少の、実母が生きている私にとっては、甘えたくても存在しない両親をもつ父にとっては恵まれているはずなのに、なんだか機能不全でした・・・

 

私は何故か形骸化した家族を生きていたような気がします。総ては母方の世間体や事情が優先されたためだと今なら解ります。

 

それでも私は母を愛しています。けれども、届かない。見てはくれない。周波数が合わないのか、母が覚えてしまった偏見でフィルタがかかってるのか、私のこころや真の深層の思考をみては貰えない。説明しても言葉が通じない。同じ日本語なのに。同じ関西弁なのに。

 

私はいつも・・・大切な人には、重たい片想い・・・慣れている、と、言ってしまう自分が悲しい・・・

 

慣れるはずなんかない。肉親の誰とも殆どこころが通じないんだから・・・

 

急性の重症の抑うつ状態が出たので、唯一理解のある息子が夜風に当たらせに引率してくれました。恥ずかしいから少し前を歩くけれど。足許がおぼつかないから近所を回ってきただけだけど。

 

その間に、どんな診断が出て、入院になるかもしれないとか、また改めて心の休養が必要になるかもしれない、とか、話をしました。

 

何が一番悲しいか、って、今回の激しい症状は、このところの(また)娘の素行と暴言で、です。小さい頃から危なっかしい子だったけれど、改善が20年以上もあまりなくて、私は最近加齢を自覚し何かあったときに駆けつけられない不安がある。その運動能力の低下や老化を激しい辛辣な侮蔑するような言葉で一方的に悪く言われました。

 

私はまともに丸腰で受けるので、心が砕け散りました。娘に来て欲しかったのは、そうです。私の片想いからです。もっと恵まれた環境に生まれたかった。と、何度も暴れられました。なども周りに頭を下げて、何度も医療機関や警察や自治体に応援を求め駆けつけていました。そのために息子がとんでもない辛抱をしている事も知っています。

 

もう身体も心も避けてしまえばいいのに、って、本当に思います。乖離できるんだから、乖離したまま、そのまま別々に対応したかった。でも、実際に肉体をそうすると生きてはいられません。悔しいし歯がゆいし、それでも周りに助けをこれ以上助けを求められない、と、嫌悪されていると、昔受けた暴言から辛抱してしまいます。

 

とうに限界だったんでしょう・・・気付けば感情からではなく、涙腺が崩壊していました・・・

 

見つけてびっくりした息子に、またあの日のように言ってしまいました。

 

『とにかく疲れた・・・・どれだけ頑張っても、お姉ちゃんが気に入る御母さんにはなれない・・・赤ちゃんの頃に別れた君のお父さんみたいだ・・・もう求める事が矛盾しているし多いし乱暴だし応えられない・・・とにかくなんだかとっても疲れた・・・赦してほしい・・・ごめん、本当にごめんね・・・』って堪えようとしたけど勝手に泣いていました・・・

 

明日、診察行きます・・・

 

シングルマザーの孤立したママ、大変です・・・多感だから子どもの心身の異変にいち早く気付けて良かったと思っています・・・けれど、身体が動かなくなって来て、それでもセンサーは過敏だから、直ぐ拾って、針が振り切れてしまうのは、もうわけがわかりません・・・

 

素直に自分なりに頑張って来ましたが限界はとうに過ぎていたようです。と、主治医に申し上げます。入院を言われるのが母親を放棄してしまうようで元気なふりをしていました。自分に嘘をつき通して、それを信じさせていました。

 

長文すみません・・・ブログやSNSって長文ウザいんでしょ?

 

でも、大学院で知識や語彙をみにつけてしまったので、ごめんなさい・・・多少は合わせられますが、語彙のほとんどない人には合わせられません。閾知を超えています。

 

大学院では現役の若い男子の仲間に入れなくて、世間では正直に吐露しただけでコンプレックスを刺激するのか事実なだけなのに自慢と捉えられたり、いずれせよ、どこからも攻撃されやすいです。。。

 

そんな世にも疲れてしまいました・・・それでも、ブログを続けているのは、信じたいから。そんな人ばかりじゃない、と。ちゃんと激しい辛い孤独でどこか人が怖い生き方をしてきたからこそ、共感できる、という人が、どこかにどこかに居ると、信じているからだと思います。信じたいのだと思うからです。

 

そうして、やっぱり、どれだけ、厳しい扱いを受けても、やっぱり子どもたちだけには、口にはいちいち出しませんが、心配で心配で出来ません。。。

 

親ってそんなもんだと思うんです。一見矛盾しているようですが、真の心だと思います。

 

母親スイッチが入って子ども達のために以外の人と闘ったり交渉したり懇願したり土下座したりは出来ます。老体にむちうって走っても行くでしょう。でも、スイッチが入らないと、入る機会がなくなると、私は生きる意味がなくなるのだと思います。

 

ただ、それだけなんだと。ただ、いのちを想って生きているだけなんだ、と。ただ、それだけで必死なだけなんだ、と。片想いの人に尽くす人生なんだ、と。