【私の健忘録】
下のミから下は下腹で制御すると出る。←私の場合はこれでチェストにならず音程とピッチがキープ出来る。
それより上は上腹で制御すると出る。
響きの(基本)は鼻と蝶番。←自分の身体の構造を験しどの細部で制御できるかを探し続ける努力をこれからも怠らない事。
コールユンブンゲンで、どうも下のミから下が、いつもと同じ発声方法(横隔膜ウェイトの制御)だと激しく不安定になる。何度トライしてもそう。
おっかしーなー、どうなってんだ?と思い、音源を探す。
旋律を覚え、最初の音だけ取り、後はアカペラで最後まで通す。音源の最後の音と合わせる。
これを何度もトライしてみる。
すると、どうやら、下のミから下は、横隔膜重心ではなく、下腹(正確には脚の付け根)に重心を取ってみると安定する事が解った。
ソプラノという特性柄、絶対チェストには落としたく無いし、してはイケナイ(と教わったように思う。低音域=アルト、バリトン、バスはチェストでも可。)。
何度も何度も歌って、その都度、身体のどこに息が当たっているか、響きがあるのか、筋肉の部位単位ごとに神経を張り詰めながら自分にあったところを探す。
だから練習ごとに発見がある(私の場合だが)
そういう意味では、とってもセンシティブな特性を持って居て、良かったと思う。
発達障害の感覚過敏を、分解に使うと、良い方向に向く事と御縁があると幸せなのだと思う。
そういう意味では研究は向いていた。ザルのような感性で研究する人が多い集団に籍を置いてしまったので不幸な事になった。
私は、頭が働いてしまう。自然だから仕方ない。そうして、ん?と気付いてしまった事は、普通や定型発達の人では見逃す細部。そうするとミリ単位ナノ単位で物事を観察しはじめてしまう。
それでなかなか見つからない。最小単位で探しているから仕方ない。プログラムの記述ミスを1ビット単位で見つけるようなモノだ。(システムエンジニアの際にやっていたデバッグ作業。見つかったら後は対策を練るだけだから後は処理するだけ。)
この感覚で生きている。数学でも高等数学(大学や大学院に行ってから学ぶ数学)の証明記述が激しく好きだ。百年記念会館(京大の正門からすぐの時計台)に、湯川秀樹博士のある証明が保管されている。
数式も美しいのは勿論の事、証明の道程が激しく美しい。また接続語の日本語が論理的で激しく美しい。俯瞰しても、細部に着目しても、どこをとってもフラクタルのマンデンブローのように美しい組み合わせでしかない。一度ご覧になると、その美しさが御解りだと思う。それがノーベル賞を取られた先生の着眼点であり整理の仕方であり制御の仕方であるのだ。
私も声楽についてはそういうアプローチでありたい。ヘッドヴォイスを保ちながら、もともと備わっている声帯の長さや、筋肉をどう駆使して、不得意とする音域(下のミから下は私には低すぎる)をどう処理するか、だ。
たかだか、コールユンブンゲンの数小節だけれども、学ぶ事は多い。そうしてきっと、重心を変える場所が私にとってのチェンジの箇所なのだと推測する。検証はこれからだけれども、この推測仮説はかなりの的確な部位だと考える。
これからの課題としては、コールユンブンゲンの低音部で重心を変えることが有効であると判明したのだから、今後、上のチェンジの部分についても検証し、それらをスムーズに行える技術を培う事が、美しいレガートな旋律を扱える歌手になれる、という事と同値であると私は考える。
(あ、論文チックな書き口になっちゃった☆)
でも、これが、殆ど、素の、私の一部です。天然と緻密が内在しているのが私です。スイッチが入ると別人のように緻密で論理的になるから子ども達は何故か怖がる(苦笑)こういう時は思考で動いているので、感情は全く蚊帳の外。
こうしてただただ無言でテキストエディタ上の文字列を淡々と制御している・・・様子が怖いらしい・・・なんでやねん(笑)
ただの、ちっちゃいオバチャンやん