許し愛 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

 

なんかね、なぁ~んとなく。

 

また別のところで『努力が足りないからだ』って、かつて両親や先生に言われていたのと同じことを言われました。35歳の人。私より随分と若いのに、まだ根性論や精神論を自分の都合のいいような解釈をして、それをもってして糾弾されちゃった。

 

父方の伯母にね、父に似て勤勉だと言われていたのね、私。嘘みたいでしょ。でもホント。あ、実際に関わる人、例えば合唱団の人などは皆知ってる。生真面目過ぎて、それを成し遂げるためには、あれもこれも予備知識が無いといけない、って気付くし、それを実行するにも技術が必要で、コツのようなものを掴んで、しかも自分にカスタマイズして、尚且つ最終的には指揮者(演出家)の求める声や旋律にしないとイケナイ。これを定期演奏会までの一年そこそこでやるんですよ。初めまして~、って入ったその日はもう7カ月前状態でした。

 

京大の大学院の研究会もそうだった。初めて参加させていただいたのが(研究会というのはNHKの『ドクターG』という番組でいうところのカンファレンスに該当します。)、学生の中でも、その年度に博士号を獲得される人ばかりの会議。13時から始まって、大議論になって、19時か20時になっちゃって、帰れないから、背に腹変えられないから、実家を頼った。子ども達だけでは心配で仕方なかったから。当時は奈良に住んでいて、二時間近くかかって、帰って、すぐ翌日の小学校3年生と一年生の準備して。寝かしつけて。『これはもたない・・・』って急に転居を決めました。子ども達のコミュニティを奪った責任があるから、絶対博士になって就職したかった。

 

内容もね、レジュメ配られるんだけど、用語全部ひとつひとつ解らないの。専門用語でしか無いから(笑)内容に入る以前に、知らない単語、余白にビッシリ書いて、子ども達が寝静まってから、検索して意味探して。。。京都に来て、すぐ転校させて学童申し込んでそのまま大学院でアルバイトして学生して研究して。入試までの準備期間では到達できるレベルじゃない。でも、もう京都に来てしまった。。。試験前二週間だけ、子ども達が夏休みに入ったのをきっかけに、親に頭下げて預かってもらった。そこから追い込み。試験は二日間。朝から夕方までの筆記試験が初日、翌日は研究発表を研究科全部の教員(教授、准教授、講師、助教すべて)が出席する前で壇上で博士課程でどんな研究をどのようなアプローチで綿密に計画を立てて遂行して成果を出そうとしているのか、を発表し、プロの目で、しかも何人いるんですか!?みたいな京大に正規教員として働いている博士軍団から、厳し過ぎる質問に答えなくてはいけない、まあいわば、実技試験。で、それでもギリギリ、で合格。で、やっとスタートライン。修業する事を許可される訳です。。。

 

それを努力が足りない?????? という言葉だけで一刀両断。。。安泰な人生を送ってきた人には解らないでしょうね。。。学位取得直前は報道にリリースした研究もあって、メディアに取り上げられて、彼らの相手もあったし、研究室の仕事もあったし、研究者の卵としてもちろん国際的に権威ある学会に論文を通さないと京都大学の名誉に関わるので、それもして。。。独身の若い男性でも倒れたり精神的におかしくなったりするんだよ?? 東大も三四郎池周辺で自分を肉体的に虐めるに至ってしまう人多いじゃん。。。それ努力が足りないから??違うでしょ????限度を超えて努力しちゃったから過労でオカシクなっちゃったんでしょ??????

 

でもね、事実および真実を説明したところで嘘つき呼ばわりされるの。学生部にいって、修了証明書取って見せようとしても、そんな時に限って、逃げるの。信じたくないんだろうね。自分の概念(価値観)と違う概念(価値観)で世の中が満たされているという事を。話も、すごく噛み砕いて、私はこれ以上噛み砕けません・・・ってところまで噛み砕いても理解出来ない人っているじゃないですか。聞いてないとか、このブログ記事だって、私にしたら短文だけど、一般の今の多くの人からすると、長文で、今、SNSが主流だから、ラインやツイッターやインスタ(海外ではピンタレストなどなど)では画像や短文やギャル語やヲタク語(省略形が多い)がメインで、ダサいんでしょ!?

 

で、『ダサくていいから、解らないから、説明してよ。』ってお願いすると、詳細や意味が合致しているかどうか全く確認もしていなくて、『合っているつもり』だけで使わない人を疎外したりイケテないとかアカンやつ・・とかって、侮蔑する昨今の日本人の平均の資質。。。ってどうなの????って言ったところで通じない。。。いつから地球はどこかの星になったんだ??

 

この釈然としない想いというか、辛さというか、もどかしさ、腹立たしさ、逆ねじを喰らわされた感覚・・・不特定多数相手だから仕方無いんですよね・・・で、思ったんです。

 

悶々としてストレスにして溜めちゃってばかりで生きて来て、さりとて爆発するような感情的にもほどがあるようなチャラい人間にはプライドをもってなりたくないというので抑制されまくってたけど、『許す=この感情から自分を解放する=自分を痛めつける事を止めてあげる』事が愛とするなら、もう倒れるまで命が本当に無くなってしまったり、廃人になってしまったりするまで過度な知的活動や肉体労働は、まだ子どもが不安に思うだろうから、出来る限り調整して(自分で制御がきかないくらいに人の理想に応えて来た過去のクセからの脱却)、生きて行こうと。それも子どもを想う愛だと。

 

そう思ったら、なんだか、『解って貰えなくても、別に私が存在否定された事にはならないんだし、許可、許可。自己許可ハート』っていいじゃなあいラブって思ったりしました。

 

やさしいカンジが欲しかったので冒頭に可愛いお花を貼り付けてみました。最近はピンク(薄桃色)がこころにフィットしますピンクハートピンクハートピンクハート