京大界隈が賑やか過ぎる・・・今日何かあったのかな関係無くなって久しいから喧騒さだけが浮き彫りになって私に届く。怖い。晴れ晴れとした親御さんの顔。さぞかし自慢でしょう。
そう言えば、私が現役の時、受験失敗して(失敗というかあの時の実力だったんだけどね)、某私立中堅校(あの時は数学科に絞って無かったなぁ・・・)に唯一合格したんけど、通知の分厚い封筒、お父さんが、
『どこや 知らん
』 ってゴミ箱に捨ててしまいました・・・
学校の先生には今の実力でしょ 女子なんだから浪人は恥ずかしいでしょ
どうして辞退するの
中堅校だけど併願考えたら凄い倍率で受かったんでしょ
と剣幕。
板ばさみぃ~
翌年は成績見事にあがったけど、緊張が凄くて本番ダダ滑り・・・で、出て来ない
またまた中堅校。ちゃんと数学科だけどね。そんで今度は早稲田狙ってたクラスメイトもいたから自分から懇願したけど、チャンスは貰えなかった
で、春休みに、お買い物から帰宅したお母さんが言ったんだ。
『T君、京大やって お母さん、アンタがどこになったかなんて恥ずかしくて言えなかったわ
これからこんな想いして生きて行くの
お母さんの人生返してよ
』
お父さんは、その激昂と錯乱の様子を見て、『まあ、俺らの子やから、そんなモンやわな。』とやっとそれなりの言葉かけてくれたけど、大学に足が向かなくて。
大学でも浮いてて、今度は(何よ、進学校から来て)って、これまた、カッコイイと言われている附属高校からあがってきた男子学生にはちやほやするけど、公立上がりの私にはキッツイキッツイ女子の陰湿お仕置きがあって、勉学に身なんて入らなかった・・・
とっても傷ついた大学生活だったなぁ・・・ ああ言ってた父もそのうち『学費どれだかかかった思ってんねん
』って。
両親の基準が、東大や京大や阪大などの旧帝大で(父は阪大落ちて同志社、母は地元の高校卒)、しかも文系で、しかも私の特性には早期から気付いていなくて、過度緊張や予期不安などがダメなのに、もうホント拷問な勉強ばっかりだったなあ・・・
でも、それを重圧と思わず難なく乗り越えちゃう子、その親、今日の晴れ晴れとした顔に見て取れた。
そうして、あの頃と変わっていない、学歴偏重の人達の集団に、なんだか恐ろしさを感じてしまったのでした。
今日は、3.11。思う処、たくさんの切っ掛けでたくさん出てきます。。。感受性が高くて、いちいち自慢しないけど、どうも相当記憶量があるみたいで(ショックな事が多かったんでしょう・・・)、それらがきっかけと共に都度都度出てくる・・・どこまで出て来るんだろ・・・
いっそのこと、揮発性の記録領域の脳だったら、と思う・・・生命や心の危機的状況しかなかった人生だったから、危ない事は覚えておかないと、命を護れないと本能がそうしたんだと思います。
動物なんだよね・・・人間だもん。
文化、って・・・歴史、って・・・一体、どんな目線に絞って見ればいいのかなぁ(複眼的には見ていますけどね・・・)
だから、空気の流れが奏でる音を聴き、小鳥のさえずりを聴き、小動物の健気な姿を見て、じぃ~ん、って来るのだと思います
どんな見方をしても、弱者側の健気な姿、じぃ~ん・・・です