自分を振り返りたくて、8年前になってしまった心理検査のデータを再び取り寄せました。
当時の臨床心理士さんの所見・・・温かくも冷静で厳しい現実を書かれていました。
計算が苦手だったとは自分で意外(笑)忘れてた(笑)
あのぉ~・・・数学科出身でゴザイマス。理学修士でゴザイマス。博士課程認定修了退学でゴザイマス(←これは一般の方、ワケ解らんよねwww失礼ちまちた☆)
えっとぉ~・・・心理検査の計算、確か、銀行のパート採用試験の際に利用されたのと同じものだったんですよ・・・
で、もう何度もIQテストって受けて来て、なんだったら試験というものを人生で散々受けて来てね、『修得できたか?』『記録(記憶)出来ているか?』『現実応用できるか?』『客観性を持てるか?』などなどもいっぱい試されてきて、にわかに、
【この期に及んでまだ”試験”???】
って心が悲鳴あげたんだと思うんです。
だってね、何もかもが一方的と言えると思いません
どんな設問にするか、何問出すか、試験形式はどんなものにするか、何分にするか、最適解は何か、標準偏差値はどこか、有意差はどうか・・・全部相手が決めるんですよ
心理検査は臨床心理士が行い、精神分析学に基づいて算出されます。でね精神分析学の大家であるフロイトの概念の流れを継承しているわけですけれど、使用する算出式がその分析目的に適切なものかの議論、されてないと思うんですよ。だって、数学者の範疇だから。
えっと、数学的に『なぜこの有意差を導出するのにこの式を使うのか?』『なぜ線形で扱うのか?』『離散では無いのか?』『群論や環論では出ないのか?』『ルベーグ積分では出ないのか?』などなど議論され尽くしていないのです。(他にもいっぱいアプローチがあります。)
何より、個性をなにがしかの試験で数値化したとしましょう。それは単なるデータだから許せます。そのそれぞれの人のデータをマッピングするとき、マジョリティを線形に算出するという、なぁ~んにも考えていないリニア(線形)やスカラの式で本当にいいのという話なんです。
要は、個性を整えちゃった土俵の上で異端という事にしたい、という論法なんですよ。伝わります
あのね、4次元というと、必ず4次元目は時間という人が多いと思うんですけれど、そんなもん物理学者が計算上、都合がいいからそうしただけであって、それが総ての学問の共通認識じゃないんです 数学では幾何学というものがありますよね
一次元は点、二次元は線、三次元は空間、じゃ四次元は
幾何学、つまり図形で考えてみて下さい、何故突如として『時間』なんですか
空間のねじれや歪みを便宜上時間と表現したというなら合点が行きます。けれど、時間と聴くと一般の少なくとも数理学を専攻していない多くの人からすると、時計であらわされる地球時間を言うと限定するでしょう(そう、時間だって、宇宙時間や、天文学で共通の専門用語の単位時間があるのです。単位・・・そうです。あのオイラー定数、対数でいうところのe、懐かしいですねぇ・・・あれも”単位”のひとつです。)
そう、限定しているのは、一般かつ健常かつ定型発達とう何重もの枠にはめられた人。それらの人が、ハマっていない人を評価している。なんじゃそりゃって話じゃないですか、と言いたいのです。(本末転倒、ってヤツですね。)
社会性にしたって、例えばここは京都の洛東という地域です。洛中というあの祇園祭で山や鉾が巡回する地域が中心となっているので、古い厳格な人からすると、もう洛東(河原町通りから東)というだけで、”よそもん”なんですよ。とすると社会がそこで極端に違ってしまう。世の中画一的な社会性など、机上の空論の話。だから、学者はそらごとを言っていると揶揄されちゃう。真剣に、どうして、数多の統計処理の中から、数学的にそんな変な次元を落とす(手法は、ある特異な部分に着目して周辺領域を脇役として歪ませて低次元化する、と同値と考えて下さってOKです)事をしたものを採用して、心理検査というとても繊細に神経を払わないといけない事をするんですか
と怒っているわけです。そう、自称:数学ガールの言い分です。(なぜ自称としたかというと、私は現役の数学者では無いからです。そうして数学で博士号(理学博士)を取得していないからです。)
・・・ということは、海外のWISC―Ⅲ(当時)というものを、丸投げで日本語化し、精神分析かなんだか知らないけれど、医学の精神神経科用語訳ではなく、心理学用語訳を正解集合として成立させちゃっている事がどうも、私には解せないんです。担当医も、「そこは心理士さんが・・・」と言います。臨床心理士は修士号を持って居るとなれますが、私は修士課程で心理学あれこれを履修してしまっているので、こんな私程度で仕事をし、人の能力を試験し所見を書く、という将来に渡ってまで影響を与えるような生業には、恐ろしくてなれません
本当に、怖いんですよ、それが。医者が、心理士が、私の人生を決める知的活動能力を算定して、それでいいんですか
・・・で、当時の所見の終わりには、『本人が自尊心を脅かされる事の無い環境を整え、安心してから、心理療法を試みる機会を獲得する事が必要』『このテストの数値は、一般的な高機能広汎性発達障害者の傾向とは真逆なので留意されたい。』とか書いてあるわけですよ。
つまり、この心理検査じゃ私を推し量れなかった、って事じゃん ってムカつきまくったんですよ。
あんな負担を強いて、「推し量れませんでした。」ぁ
というわけで、ある意味、難病ですゎ
しかも、修士出たての若い女性に、時代や性別や地域性で異なる『社会性』について、所見を述べられる筋合は無い ここでいう社会性は学校で習うもんじゃないんだよ
実際にその地域に生きて、生活して、御近所と融和して培われるもんだ
・・・と主治医に突き返そうと思ったけど、シャトルバスの運転手さんが本当にやさしい人で、主治医のところに向かう順路でよもやま話しているうちに和んじゃって、『もう、いっか』ってなりました。
誰が凄いか、って、医者でもなく臨床心理士でもなく、シャトルバスのやさしい傾聴しながら、自分の事も吐露してくれる、地味ぃ~なおつきあいのオジサンじゃん
・・・頑張れよぉ・・・医者でしょぅ心理士でしょぅ
京大でしょぅ
予算めっちゃ傾斜で貰ってるんでしょぅ
・・・ホント頑張れよぅ・・・
さて、これからも通院して、担当医や心理士を育てましょうかね(おいおいwww)
治せるもんなら治してみな(あっ、取り乱しました
ダチョウ倶楽部の上島さんかっwww)