心が傷ついて、いくつも傷ついて、穴だらけで、
『気』がどうしても貯まらない状態なんだなあ、って。
それを鬱というんだなあ、って。
日本人だから日本語に長けてるわけじゃないし、
繊細だから人を罵らないとも限らない。
魂の修練が要るのだなあ、と。
私は言い返せない。
傷ついた瞬間にその人がどんな言葉も聞ける状態に無い事まで解るから。
そのまま言えないまま今生のお別れになった人ばかり。
罵られたまま誤解されたまま。
でも仕方ないと思って生きてきました。
でもね、このところは旧友の訃報を耳にする事が増えて、
私であってもオカシクない事を思うと、
時々、否定された状態で今生でのご縁が切れたので、
言葉を素直に言われたまま辞書的に受け入れる癖のある私は、
命がある意味を全く見いだせず、
何のために生きてるのか、
何を一番欲しているのか、
何が好きで何が必要なのか解らないまま、
いつからか大きく空洞化していました。
身体は生きている。
でも心はずっと生きてなかった。
感じても言っちゃいけなかったし、
行動にもしちゃいけなかった。
ただ人形のように誘導される事に真摯に努力し成果をだし周りのお陰です…
あれ?
なんら言動を許されなかったのだから活躍も結果も求めた人のようにはなりません。
そうしてまた言った事も出来ないのか、と、罵られて来ました。
身体がもたないくらいの(実際に今は満身創痍ですが)心の大きすぎる数多くの穴は補修に時間がかかってしまっていて、
その間に身体がもたない日が来るのではないか、
と前から思っています。
父方が特に皆が短命なので父方に似ていると言われていた私は今まで生きただけでも長いです。
でもそのうち心が解放された期間はあったのだろうか、と思うとき、
あまりにも病的に、あるいは本当に心の病気になるくらいに、色んな圧力をかけられて迎合するしかなかったのに、八つ当たりされて罵られていた社会的弱者からは、堂々とどこかのシェルターを探そうと思いました。
しかし今はそれをする体力気力は奪われ過ぎて底についている状態です。
もし神様にお願いできる事が出来るなら、数学的発想には無いのですが、物理学的思考が世の中にある事を考慮して、
『これからは私を生きるための時間をください』とお願いしたいです。
もう充分すぎるくらい強気で自己中心な万物に粗末に扱われ迎合を強いられたと思います。
小鳥のように飛びたい。
たとえ小さな羽根でも。
墜落ばかりでも。
それには穴の修復が真に必要です。
やさしいものに包まれながら私の肉体や魂の回復ケアする時間をください。
もし神様がいらっしゃるのならこれまでの長すぎる奉公に免じてお願いしたいです。
この理不尽な世の中をどうせ生きなきゃいけないのなら。
なおかしこ。