第四曲の練習をしていたところで心身不調で練習に足が竦んで行けて無くて。
ふ、と思い出して、Wie lieblich sind Deine Wohnungenを聴こうとしていたら、まだまだ無知の私、それがブラームスのレクイエムの一部だと今日知りました。(スイマセン・・・)
小学校の音楽室の威厳あり過ぎる、子どもにはただでさえ怖いだけの、もしかしたら暗くなったらもっと怖いだけの肖像画が最初にバーン!って入って来て、名前だけベートーヴェンは知っていたけれど、最初に耳にしたのが『運命』のあの旋律だったので、クラシックは、子どもながらにどこか権威という概念を感じすぎて、近づけなかったのだと思います。
私は多感な子どもだったので(今でもですが)なかなかその最初に刷り込まれたイメージが払しょくできずに、その後の人生で学んで知って幼き頃の突然の衝撃で受けたダメージを癒しているのだと思います。
いつもはピアノの絶対的な音(ちょっと角ばってるかも・・・)で練習ですけれど、オケで聴くとなんとも柔らかくて良いですね。
丁度今は、Wie lieblich sind Deine Wohnungenの部分に入って、その絡み合う旋律にウットリしているところです。
昨日誕生日を迎え、従兄が自殺してしまった日から(どうして私の誕生日にそんな事して大きな宿題を負わせたのだろう・・と思っていました・・私にとっては自殺という脅かしの行動で。)私なりに喪に服していて、(そろそろ10年だから、そろそろ緊張を薄皮一枚のオブラートに包んでいいかな・・・)って思いました。
従兄というんだから私より4つ上で、6年前に彼と同じ年になる事、彼の歳を現世で抜いてしまう事に対してもどこかしら後ろめたさがあって、本当に精神がどうにかなっていました。もちろん彼には親も家族もあって、私なんかが全く出る幕が無いのですが、青少年の頃、彼の粗相をいくらも庇ったというか、世話をした事があったので、精神的には従兄にとって私は従妹ではなく従姉だったからだと思います。ここでも機能不全は存在していました。
古い?考えでは、女性は美貌にだけ能力があればよくて、知識に関しては長けて居たら男性の顔を立てられないから避難されて、つまり若いのに美貌がなければ存在価値が無いモノとして扱われたように思います。嫁いだら嫁いだで名家の奥様でなければ自分のケアに何も投資する事が出来ず、ただただ姻族の仕様人扱いで、それが当時の人達の概念で当たり前で、何か自分の意志があったものなら「生意気」だと色々意地悪されていたのだと思います。
従順でも気に入らなければ何か陰でされる。男性に見つかったら叱られるので子どものいじめっ子のように見つからないように巧みに逃げられない事を良い事に色々強いていました。
それを甘んじて受け入れて来た人がなんと多いのか、と思うと本当に胸が痛いのです。
昨日、有難い事に、生きて誕生日を迎えました。最初はおめでとうといってくれた娘も、もともと思春期に「何を色気づいてる。そんな暇があったら勉強しろ。」と言われていたので、美容にはまったく知識が無い私。娘は若いうちからコスメに興味があり、お小遣いも全部そっちにつかうし、進学も結局諦めてアルバイターでお小遣いを全部そっちに使っています。私は力づく手矯正されて精神が壊れた過去があるので、子ども達には決して無理強いをせず、ある程度の我儘は許して来ました。反面教師ですね。でも、そんな事は娘は知った事じゃ無く、自分が自分の理想の自分に近づけないと、当たり散らします。
『そんな何もしてこなかったから、ママはシミがいっぱいで汚いねん!!!』
・・・大ショックでした。幼い頃に容姿で苛めた子ども達が投影されました。私は小太りでした。貧乏だったので、生活が安定してきた頃、父が嬉しかったのか子どもに食べさせたかったのか、銀座で飲んだあと、有名な御寿司屋さんの御土産を深夜に食べさせました。そんな過去やコンプレックスにつきあった私は、翌朝胃腸の具合が悪くて(元々弱い)、お腹を通してしまったりしましたが、起きて食べないと機嫌が悪くなり(拒絶されたと父は思うのでしょう)、それで母にあたったりするものですから、私は喜んで食べて、ぶくぶく太っていって、小学校などでどうしてもお腹が痛くて(お腹痛い、出休むと母が機嫌悪かったので)、授業中にトイレに出て、途中で間に合わなくて、戻してしまって、どうしていいか解らず、トイレから紙を持って来て、ひたすら自分で掃除して授業を抜けたままでした。
そんな毎日でしたら、当然学校で履修する内容は教室に入れないんだから解りません。左利きなのに右で持って書いていましたら、とても文字の形が悪く遅かったので、それも苦痛でしたし、何より一年生の私は家出そうでしたし、今思うと分離不安で大変な弟の世話をしていましたから(母は父の不貞で悩んで臥せっていました)、保健室というところに行ったらいい、という事も全く思いつきませんでした。
常に自分のしたいことを親や先生や気の強い暴力的(精神的にも)な人間に迎合しないと今の身体的精神的な自分が大けがをするので、本当に他方優先で生きて来ました。それ故自分のケアはいつも後廻しというより、してこれませんでした。
なのに、『ママはしみだらけで汚い!!!』と言われました。なんだか命、人生を全否定された気がしました。今、相当ショックです。
自分の娘のみならず、このように、短絡的に想いを馳せられなく、浮世の人が作った価値観に自分が染まっている事にも気付かず、平気で相手かまわず虐めるこころがある人のなんと多い事か・・・
私たちは、変な世、変なこころの人間の中に生きている。。。
どうか、引き籠りを許して欲しい。勝手な憶測で、思った事を短絡的に、思った決して思い遣りが内在しない無機質な悲しい汚い言葉の短縮形で人を侮蔑する人が当たり前になっている外には到底出られないのです。。。
きっと私は内的に薄皮の脱皮を繰り返しても、核がとても繊細なので、ショックを受けた時は、生理が始まったのもありますが、過敏性腸炎も併発し、幼き頃のトラウマもいきなりフラッシュバックして本当に身体症状に現れます。その相手が母親であっても娘であっても、です。息子は私に似ているようで、保育園や小学校の低学年のうちにされた事がいまでも想起されてしまって、やっぱり怖くて外に出られません。
三歩あるいたら忘れてしまう人の辛辣な言葉に傷つくことはない、と言ってあげるのですが、ふと気付けば私はもう50になったのに、こうして久しぶりに原因不明の今までとは違う強い痛み(生理痛も別の箇所が激しく痛いです・・・どうして???)が重なって、辛いです。
頓服のコンスタン、精神科で処方されるので、知識の無い多くの人に、オカシナ薬として揶揄され本当に傷つかない日はありません。命綱の薬、やっと見つけた身体に合う薬、を、単なるうわさで否定される。
死ね、という事ですか???辛辣な悪意のある言葉で傷ついてきた結果、精神が疲労困憊で具合が悪くなってしまった人間は生きている価値がないのですか???意味も無いのですか???私は子育てをしてはいけないのですか???
完璧で誰かの理想通りの性別と命と容姿と若さが無いからですか???
御願です。誰か教えてください。私が生きていていい意味を。