今日は総ての用件をキャンセルさせていただきました。
歌う事は出来るのですが、普段の会話となると、ガラガラ極まりない声です。まだ時折咳が出たり、右の耳下腺に痛みがあります。ふらふらは常時です。
総ての用件をキャンセルし、娘が興味を持ってくれた事で料理を作ってくれる事は、かなり助かります。味がつい彼女好みで激辛になって、修正しないと息子は食せませんが、出来上がりをちょこっとの修正でOKであることは本当に助かります。
『それじゃあ、芯からリラックスできていない』何度も何度も言われています。でも子ども達が先ず強制ではなくて興味を持ってくれ、それで過剰叱咤せず時間をかけて何度も小さな課題修正を繰り返しながら、ある程度出来るようになるまで、そのようなモン、御母さんが呑気に任せられません。心配ですもの。
☆調理って結構あぶないから、怪我したりやけどしなかったり家が火事にならなかったら、もうそれでいいからね。お買い物も無理しないでいいから。これだけ人が集まっているから事故なく帰ってきたらもうそれでいいから。☆
とだけ伝えて休ませてもらいました。
で、私は、やっと、ほんのちょっと、『今まで休んでいるようで、休めていなかったし、それが出来る時期でも環境も無かったんだなあ・・・』と。そうするとグターッって(^^;)
てなわけで、また風邪薬が切れたので服用して、夜なのでSSRIの残っている分があるので、それも服用して休みます。
御心配いただき、SSRIも風邪薬も『要らないんじゃないの!?』『漢方の方がいいんじゃないの!?』『薬って出来れば身体に入れない方がいいんじゃないの!?』とか、沢山の御言葉をいただきます。
でも、誰も『じゃ、任せといて!!!私、貴女や、子どもさんたちが、落ち着いてくるまで、全般頑張るわ!!!』なんて人居ないんです。私が内科医や精神科医と知識共有しつつ自らの身体を被験していたり、それにともなった偏見ない社会制度を保健所や自治体や、医事相談などなど、代わりに任せられる人、どこにいますか!?子どもが母を想う気持ちをケアしながら出来るひと、どこにいますか!?
だから、『要らないんじゃないの!?』『漢方の方がいいんじゃないの!?』『薬って出来れば身体に入れない方がいいんじゃないの!?』という言葉は、無理解で傷つけるものだと、気付きさえしていないという・・・とっても長いあいだ、これらに苦しんで来ました・・・
そんな簡単な世帯じゃないんですよ。ホントに。両親が揃って祖父母が揃って、リソースが揃っても、難しい家族の継続です。それを断片的に知ったからと言って、どうして、『要らないんじゃないの!?』『漢方の方がいいんじゃないの!?』『薬って出来れば身体に入れない方がいいんじゃないの!?』って、責任を実際に社会的に取れる人でもないのに言えるのかが、まーーーーーーーーーーったく解らないんです。特に医事や薬事に関してはね。
てなわけで、去年の公演で演奏した、この曲を、思い出しつつ、レクイエムという素晴らしい組曲があるんだ、ということを思い出し、そうして、それに浸って今日の眠りに、ちょっとだけでもつけたら、と思います。
倍音がたくさん聴こえる楽曲は本当になんだか安堵するというか、ふわふわするというか、安心するというか、不思議な不思議な不思議な感覚で、デュリュフレの時代にも時間旅行できるような気持ちにもなります・・・
教会でマリア様に向かって歌いたいなあ・・・私なら。母としてマリア様はなにをどう感じてどう節制してどう現実を受胎告知から受け容れて吾子であるキリストの受難も見ていたのですか!?と・・・問いながら。。。
(去年の公演では、ソロを福原寿美枝先生が歌われました・・・大変ふくよかで心を護ってくださりそうな御歌でした・・・。)