5日の京大オケの初練習&合唱独立最終練習、行けませんでした。息子が風邪からと思われる腹痛。平素我慢強い彼が不安になるくらいだから苦痛が相当なのだと思いました。彼を置いて大阪には行けません。(まだ京都市内なら考えましたが…)
京大オケの当日取りまとめの学生さんに連絡。申し訳なくて申し訳なくて。でも担当のI君は「ご丁寧にご連絡有難うございました。ご家族様どうぞお大事になさってください。」と御返事をくれました。なんというお心のやさしい彼でしょう。それを伝え聞いた息子も「伝播的に京大オケの皆様、合唱指導の先生、その他関係者の皆様に多大とまではご迷惑をおかけしていないようだ」と理解できれば、心をともなった回復も早いでしょうし、もともと丈夫でない肉体を持つ自分を必要上に責めることはないでしょう。本当に短文ですが、救われました。次回は十束先生とオケの皆さんとの合わせです。もう歌詞はほぼ入っていますので、後は身体の使い方を調整しに行こうと思います。
そんなわけで、このところ、ブログに何を書けばいいのか、解りませんでした。厳密には、思ったとしても何だか書く気になれなかったのです。どうしも身体が動かなかったんです。何のためにブログを書くのが突然全く白くなってしまって解らなくなってしまいました。過去も未来も。
何のためにコンテンツを書いているのだろう?って思いました。体裁的な文言が誤字脱字ではダメなのでしょうが、そういう表面的な事ではなく、伝えるべき、伝えたい何かが、いつからか見えなくなって来ていました。惰性で書いていたつもりは全くありません。突如として真っ白になってしまったのです。
それでも連絡は来ますし、感覚器は様々なものを取り入れます。感受性が高いという事実はもう否めないと事実を受け容れましたので、それなら尚の事、刺激を受け過ぎて、脳や身体が内的に活性化され過ぎて、見た目にはなにもしていなくてももう疲弊している状態のようです。。。
それでも、えいやっ!と、家族の予備家事をして、やっぱりバッハのマタイ受難曲を今聴いています。プロ仕様のヘッドフォン(密閉式でないと聴けない私です)で。事細かに発話や楽器のアタックまでは聴きとろうとはしていない感覚器の精度の状態ですが、それでもバッハの世界観は大まかに捉えようとしているようです、私。そうしてその世界観に没入していこうと準備が始まったようです。
ある方のブログに鏡を実際に視る事を推奨する事が書かれていました。私は幼いころのイジメで表には出していませんが醜態恐怖症を持っています。(もう持って居ると受け容れます。)酷い心の状態の時は外に出れません。御化粧もしません。どうせ似合わない(誰にしつこく言われたんだっけ・・・ハッキリ思い出して明確になっているけれど今なぜだか書けません)と諦めもしていますし、高価なものなんてとんでもない!似合わないのに高額な対価を出す人がどこにいますか!のような感覚です。そう、自己否定。もう実際に行動する前に脳がそう処理してしまっています・・・視覚的なものを普通と言われ居てる健常の視覚機能が健全な人は重視するのを知っています。
それでもその人の言う通りにしてみようと思いました。まだ勇気がないので、想像で鏡を見たような気持ちになってみました・・・醜い・・・おっしゃる人とは異次元にかけ離れた容姿・・・あまりにも酷過ぎる・・・でも、昨年末、声楽家の方に『とっても歌えそうに見えるのに』と、当日のソロ試験への自信の無さを不思議がられた事を思い出しました。
(もしかしたら、”鳴る” 身体なのかもしれない!!!)
そう思うと力んでしまうと考えたので、イメージから入ろうと思いました。それでバッハを聴いているのです。バッハはなぜあの旋律にしたのか。なぜあの和声進行にしたのか。なぜマタイ受難曲を描いたのか。何を後世に伝えたかったのか。それを使命と思えたのはなぜなのか。技術的な事より今は思想的というか概念的というか”隠れた深い深い想い”に馳せようと私はしているみたいです。。。
「こうしてみよう」というよりは、「どうも私はこうしようとしているようだ」を掴むのに、人間時間でいうところの相当な時間、具体的にはン十年単位かかるようです。なぜなら根幹というか芯というか深層というか潜在というか、それらの端っこというか、気配とういか、そのようなところにかすらないと、解ったとみなさない私がいるのです。そう、そんな私のようなのです。
耳をすませて、心をすませて、奥の奥の恥ずかしかったり、ためらったり、遠慮したり、迎合することを矯正されたりして、なかなか出て来ない、私自身の呟きや囁きを、聴いてあげたいのです。
おそらくその道で私は生きて行きたいと思っていると思うのです。私は私をずっと探してる。遠慮して本心を言わない自分の声が聴こえるまでずっと待っている、そんな気がしています。命が尽きるまでに、小さな僅かな囁きが聴こえたらいいのですけれど。。。。
よこしま☆ちゃん、じゃなくなりたい、まだ今はよこしま☆ちゃんでいなければならないと思いこんでいる私より。(HN、本来の私がつけた私に変更するかもしれません・・・今はまだ気配よりもうんと弱い弱いエネルギーですけれど、産声を上げようとしているような、鼓動を始めるような、そんな感じの状態の気持ちです)