今日は自宅でほっこり・・・のつもりでした。でもやっぱり夜を待たないと解らないもんですね。
朝に御年賀がポストに入れられて、30年くらいの御付き合いになる親友がこのところ身体を壊していて(心不全とかいうんだもん、ビックリしちゃって)、それで御年賀の内容が気になったので、御挨拶よりも文通の意味でお返ししたくなって。そうしてなぜだかずっと天神様(北野天満宮)に詣でたいと思っていたので、人混みはとっても怖いけど外に出てみました。
結論からすると、家の前の路地を出たところで、もう怖くなっちゃったんですよね・・・あれだけ息子に心配されて『大丈夫、行ける!行きたい・・・んだと思う!・・・でも無理だったらやっぱり帰ってくる・・・』って言ったのに でももうちょっとだけ頑張ってみました。
はい、いつもお世話になっております、京大病院でゴザイマス・・・親友の不安な言葉に現れている気持ちは解ったけど、御正月を自宅で迎えていない人がこんなにもたくさんいらっしゃるんだ、って私は実体験したかった。…のと同時に、かからせてもらえる病院がある事、診てくれる人がいる事、有難い事なんだよ、って、親友に言いたかったのかもしれない・・・
当たり前ですが、入れますよ。入院されている人の御家族さんとか色々いらっしゃるので。洗濯物を持って帰る奥さん、家族みんなで一番近い熊野神社さんへ初詣にと幼い男の子とゆっくりゆっくり歩いているご家族、いっぱい拝見しました。そうしていつもの地下のローソンの店員さんと遭遇しまして年始の御挨拶。いつも有難うございます。病気にお盆も正月も誕生日も関係ないから・・・
玄関先でいつも見上げる西の空。冬だから低いです。午後すぐだったのにこんなカンジ。高い建物は積貞棟。癌患者さん専門の病棟です。
真上(天頂)はこんなカンジ。首を90度上に上げた空。自分の目線の西の空は高さ規制のある京都なのに、空が狭いんです。だから、いつも真上に首を向ける事が出来る時は、まさに見上げてみます。同じ時刻の同じ空なのにこんなに表情が違います。まっすぐ空に昇って行きたい気持ちになります。父のように龍のように(辰年生まれの人だったからね)。
新年早々、病院、って不謹慎ですか? 年賀状には、ご健勝とか、ご多幸とか書かれていますよね。でも、ご健勝、って、全くまっさらの病気が厳密にひとつの細胞もない状態を言うのでしょうか?ご多幸もそうでしょうか?病気と闘いながら、あるいは折り合いをつけながら、障害をもちながら、今を生きる人も多くいます。
それを親友には伝えたかった・・・けれど、今は余裕が無くて、もともとあまり外に向かって心を開いている人じゃないから、耳を貸せないだろうけど・・・
北野さんじゃなくて、京大病院への参拝?でした。本当に今年もよろしくお願いします、って、御祷りしながら歩きました。いつものように声楽の呼吸法をしながらではありませんでした。そうして、まさかこのようなブログ記事を元旦にかくとは思いませんでした。
でも、ありのまま、素直なまま、思ったこと、感じたことを、書きたい、と、心から思ったので。
それでは本年もどうぞ宜しくお願いします。