折れそうな心をマーラー『復活』に救ってもらいたい。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

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買い出しに独りでました。

まだ観光地のオンタイムだったようで、凄い人でした。

体調が良くないのか、もともとなのか、聴覚が過敏なようです。日本人でも外国人でも音が美しくないと辛いのです。

今日はハングルの小さな男の子が何やら騒いで(そりゃ騒ぐわな)いたのですが、なんというかその男の子の声(地声)が先ずダメだったんです。どうしででしょう・・・そんなに声帯に圧をかける声を出さなくても・・・のような質の声。なぜだか辛かったんです。

で、歌を歌いだしました。なんの歌か解りませんが、とっても下手であることは解りました。

つ、つ、つ、辛い・・・。

 

こう感じる私はホントに酷い奴だと自認しました。単なる音フェチなだけじゃない気がして・・・。

 

私が合唱(声楽)を始めようと思ったのは、体力回復もありますが、例えば震災の慰問などにいかせていただくのに、この身体一つで伺える、と思ったからです。特別な道具(楽器やラインなど)要らない。音感があれば身体だけでいい。そう思いました。

 

でもお聞かせするのに汚い声であっていいはずはありません。特に大変傷ついたお心でいらっしゃる皆さんのところに踏み込ませていただくだけでもある意味乱暴な行為なのに、その上、耳触りな声であっていいはずがないんです。だから研磨・研鑽したかったのです。

 

何事も必要とあらば好き嫌いではなく、得手不得手ではなく、うんと努力します。人生をかけて努力します。ですから、そのような人生が見えない人の、状況を考えず処構わず発信する五感には本当に辟易するんです。子どもちゃんごめんね。いくら自分が楽しいから、って、公共交通機関なんだから様々な事情の人が乗っているんだから、発信はダメだよ。物理的じゃなく、論理的、つまり心で歌う分にはいいけど、実際に(物理的に)出しちゃダメだよ。声楽を習っていてもその声が好きじゃない人にとっては、あの閉鎖空間ではキツイと思うし。

 

観光と帰省とのラッシュで、ほんのちょっとの買い出しが辛くて、何より、なんで独りで家族の事皆背負ってるんだろう・・・って、突如悲しくなって、バスを降りて荷物を整理して、重たいモノはリュックにして、手で下げるのはまあまあの重さのモノに移し替えて、そうして京大の中を通り抜けて帰ろうと思いました。

 

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冒頭の事写真は、その最中に、生協のカフェ、カンフォーラの前のウッドデッキのところにある、大型ナチュラルチェアの上から撮影したもの。

 

「ああ、私は、ここに来たかったんだ・・・」って。そりゃ子どもに何かあった時に、研究なんて手につかないし、あの子たちの心が殺されようとしているのにそんな事やってる場合じゃないし。でも・・・一般社会に一番なじめないであろう私はきっと自分を押し殺していました。そうして時限があるから、もう戻れない・・・かつての活気も無いですけどね。(前は正月ともなると明けてすぐに国内会議の締め切りがあったから、チャンスとばかりに大学に入って論文執筆していましたけど、今時の学生はしっかり休むみたいですね。)

 

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ちゃっかり左手には京大ならではの立て看板(笑)学生が文句書いてますが、脇の百年記念会館で相当大切な国際会議がある場合は一時的に自主撤去する可愛い学生です(笑)

 

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こっちが大きな腰かけ。昔は無かったです。カンフォーラの前のウッドデッキだって無かった。なんだかキャンパスはアミューズメント化しています。いい意味でのバンカラ的なものが無くなりましたね・・・好きだったんですけどね。イケてない処が。今の京大生とってもお洒落だし、イケメンだし、可愛いし、凄いね~・・・。

 

 

なんだか色々折れて、折れまくって、帰宅して、練習。年明けに三井ツヤ子先生の古希の御祝いで、京都市立芸大の門下生さんたち(日本の秀逸アルト!の福原さんも御出演!)が22人も御揃いで京都アルティで演奏会を催されます。勉強に行かせていただこうかと思ったんですけど、門下生、というくくりでいうと、私の指導教官は本年度で国立大学なのでおそらく退官で、志半ばで断念せざるを得なかった私は、新しい道をみつけられずに、心残りで仕方ないけれど、戻る機会も実力も何も無いので、行かせていただくと悲しくなりそうなので、聴いて御勉強、というより、今自分に与えられている課題を全うしようと思いました。

 

この動画のテンポでもし歌うとなると、相当肺活量鍛えておかないと危ない。冒頭のpppの部分、十束さんは本当に子音の発話のタイミングも厳しいらしいので(合唱の慣例の前倒しではなく、単語のまとまりを大切にするので限りなく後に送らせて単語のまとまりを圧縮する歌唱を求められます。総ての単語において。)。なので、海外の動画を閲覧すること、あるいはソリストの発話の様子を綿密に観察することは勉強になります。細く貫く音色を求められるソプラノ部分もあれば、母の愛のようなアルトさんのような音色を求められる箇所もあります。そのような部分はアルトの方の歌唱をよくよく観察します。音が先で、それがどのように歌っているかがだいたい想像できるようになってきたので、視覚的にはあまりみません。むしろ邪魔になるときが私には多いです。なので、本来は目を瞑って歌いたいんですけれど、声楽的には目をしっかり明けて歌った方が良いらしいので、仕方ないので(苦笑)そうしていますが、音に集中したいときは、他の感覚器をシャットダウンします。

 

なので、その男の子の声、イヤマフの上からベレー帽子を伸ばしてかぶせて、耳栓をしている状態にして、凌ぎました。そうして私は、脳内で一生懸命歌い、身体は内的にポジションを取っていました。復活は座って歌うので、立って歌うよりも相当筋力が要るので、常に軟口蓋に息を当てる意識をしています。まだ初心者なので、歩きながらインナーマッスルを鍛える呼吸をしています。はたからみると変なオバサンです。でもそれが今の私の「救い」なんだと思います。下手なのは知っています。オバサンになってからクラシックに染まったので仕方ないというかするべき努力です。それは全然苦になりません。敢えていうなら、私が努力したり没入する時間や労力を奪う事は、もうこれからの人生で止めてもらえたら嬉しいなあ、って事でしょうか。

 

そんな事を、閑散とした京大で思いました。