やっと勇気が出て、寝具一式の御洗濯の最中に、とあるバンドの音源を聴く事ができました。
・・・リーダが上手い、っていうから、どんなに、と思っていて、
プロなんだろうけど、『ん~・・・』ってカンジ。
そんなに秀でて上手いとは思わなかった。
あの程度ならちょっと練習したら出来るじゃん!? って思った。
再始動した時は、その音色の特徴が活かされていたけど、活動が進むにつれて、昔の音色をまた入れ出して、
やっぱり結局、上手いけど、代わりじゃん!? みたいな。
オルガンでいくなら、ずっとオルガンで行きゃあそれはそれで、メンバーチェンジした際の初志貫徹で評価したんだろうけど、
なんのこっちゃない、曲が、『いつかの曲のコード展開そっくりだぞ!?』ってな曲が多くて、
ガッカリした。
これなら、元のメンバーでいいじゃん。
何があったか知らない大人の事情があるんだろうけど、
。。。それが持ち味というか、カラーというか、そのようなものなんだろうけど、
それで浮かれているような様子がなんだか痛々しかった。。。
『あの頃は良かった』というのは、今振り返る余裕があるということで、
そんな余裕がある人ばかりじゃないんだから、
やっぱりポピュラー的なモノ、って、私のなんというか相容れない単なる娯楽なだけ、な気がした。
本人は命をかけてやってるという。そりゃそうでしょ。生活の糧の仕事にしちゃってんだから。物質的な命がかかってるでしょ。
苦難の連続でそれまで無頓着だった教会にすがる想いでどうにか辿りついた人の魂を救うには、
どうにもどうにも・・・何だか技術だけに特化している気がして、そんでもって、教則本出しているけど、
『そんな技で”これで速弾きしているように聴こえるでしょ!?"って言われても・・・』
バッハの装飾音符そんなために使ってないよ
他の楽器の旋律を大切にするために、合唱もわざを全体を見たときに、音符をほんの少し短めに歌ったりするんだよ。
自分を目立たせる人が集まったそれとは、趣が違うんだよ・・・
は~。。。所詮、商業的なものなんだな~。。。って。
。。。なんだか悲しかった。。。
私は認めたくないんだ。士農工商ってね。あの変な制度ね。
だからそれが透けて見えてしまう音楽性というか、アプローチというか、『ねえねえ、こういうの出来るんだけど、私って凄くない!?』なんて井の中の蛙のような心持ち、やめてほしいし、
口は災いのもとというか・・・DVDで視覚的に訴えたところで、
まんまと視覚情報の方が人間は取り入れやすいという表層のマジョリティのそれこそ低能(脳)の人をだますような音楽の創り方は本当に止めて欲しい。
比例していないんだよ。よく出来る人と経済は。社会にでるにはそりゃ図々しいくらいでないと、誇示しないとダメなんだろうけど、なんというか・・・それって人間的な魅力の一貫として、こころとこころが通じ合う一欠片として、
本当に音楽創ってるの
っていいたい
一時期はお世話になった、というか、まだ小学生や中学生の頃には知らなかった(そりゃクラシックの楽典してたらテンションノートって名前いちいちつけて”これカッコよくない?”とかってやらないよね。)世界が見えたから、
たぶん好奇心旺盛な時期だから、『おおお!?』ってなんだんだと思うけど、歳を重ねて、人生が大変な事が多かったからこそ、
やっぱり私は、『ええかっこしい』・・・関西弁でしたね。すみません。
かっこつけたり、オレ様みたいな人は、表面面一瞬丁寧なMCをするけれど、それは御客さんが時間とお金を使って来ている事に対して、舞台から御礼をいっているだけで、
別段慰問に行く事もなければ、長年のファンのことだってなにかあった時に謙虚なファンであるからこそ、応援したい、という、姿勢が見えない。
全部宣伝のきっかけにしか過ぎなかったのかもしれない・・・と思うと、まんまと騙されたというレベルにまで至って無くて、「よくも小馬鹿にしてくれたな」ってカンジ。
やっぱり私はグスタフ・マーラーの和声の展開の方が、クラシックだからかっちりし過ぎていると思われがちたけれど、本当に小節ごとにテンポは揺れるし、人間が創造したものをアナログてきに、魂と技術を密に連結しているから、
今の私には、やっぱり人間として苦難の時期に作った曲が、たとえベェートーヴェンであっても、シューマンであっても、マーラーであっても、導かれていきたいな、と思えます。
私。。。何、うまくリップサービスに乗せられてたんだ。。。つい影響を受けちゃって、『え?カシオペア知らないの?』とか言われて、『知ってるわよ!』と嘘付いたんじゃなく、それだけ偉そうに自信満々に自分が間違ってないように言うから、『知らないと恥ずかしい事なんだ~・・・』でハマって言ったけど、
やっぱり第一期のキラキラした粒ぞろいでありながら、あの若さと言うか純粋な世界観は、もう無いのかもしれないね・・・
生まれ育った音楽と距離を置くのは本当に残念だけど、やっぱり音楽に対する姿勢は人間性がでるので、やっぱり人間性がどうも水が合わない人がいるバンドのそれは聴けません。(たった4人だもん)
博士課程も在籍しているうちに、指導教官の人間性が見えちゃった。早期に教授になる技術とうか政治的な策には長けていらしたんでしょうけれど、人を育てるというスキルは申し訳ないけれど、お持ちでないと思いました。事実、家の研究室だけ、指導教官が京大に来たあと、女性の博士が一人も出ませんでした。。。娘さんは東大に行かれたんですけどね。。。
なんだか、人間的にチープで、それこそカッコ悪い。。。
いのちやこころやいつくしみを何だと思ってるんですかね。音楽はそもそも捧げるもんですよ。『こんなカッコ良くて、自分のソロ廻しのときに得な旋律弾き倒せるの♪』・・・は、もういい。
結局の処、私はそんな人に巻き込まれて来た。。。昔応援したのは本当に苦労して、世に出るまで本当に時間がかかたからこそ。
今、ちょっとだけ話題になっている俳優の成宮くんは、母子家庭で育って、14歳で御母さん亡くして、中卒で弟を育てたんだよ。身体はって生きるしかなかったから、引っ越しバイトとかして、弟にお弁当作ってあげてた、って。
山口百恵さんだって、伏せているけれど、本当に大変な人だったよね。御風呂もなくて、洗面所で行水のように身体を洗うしかなかった、って。
だからみんな幸せになって欲しいんだよ。
早くに自立させて早くに高給取りにさせたら、投資が少しでリターンが多かったら、そりゃ子育て楽だわな。で、有名なところにいったのは、自分の手柄のように近所に自慢する母が悲しい。。。。お弁当も作ってなんてくれなかったし、放置だったし、勉強教えられなかったし、父の給料で趣味に興じていたし、責任がかかるとなると、あれだけ人権疎外するくらいの悪口を子どもにきかせるような事をしておきながら、自分が連絡しても父に相手にされないから、私に連絡させて。
でも、経済的な事は土下座してどうにかなったけど、人生をどういう性根でどういう真摯な態度で、生きて行けばいいかについては、なんら教えて貰えなかった。
身体は丈夫じゃないけれど、子ども達に教えてもらったよ。思い遣りというものを。特に息子は男子なのに病弱だからコンプレックスになっていたみたい。本当に苦しいと思う。
一体だれの正解のために私たちは迎合しなければならないの自分を犠牲にしてまで。
昔と違って、苦労した親に家を建ててあげたいという芸能人もいないんだから、なんだかいつしか逆転で、一生懸命周りがサポートしても、『え~。やりたくな~い。』とかで進路を自分のすきなように素養も考えず猪突猛進して、その結果、あれだけ啖呵切ったのに、いけしゃあしゃと、助けてって平気でいう。
そんな時に、都合よく、『親やろ?』とかいう。
それが今時の当たり前のフツーのマジョリティの若者なら、うちはマイノリティで幸せです。
長いモノに巻かれることを恥ずかしくも情けなくも思わない人が増えすぎたと思います。
私こそ子どもで、見抜けなかったんだろうね。。。
さ、まだまだ大量の家事をやります~。。。って、かなり身体調子悪いんだけど、安定剤とか痛み止めとか服用しないと、家事が滞るんだよ。
なのに化学物質を身体に入れるだなんて、とかいう盲目的に自然物を信じているそこの人!!!自然派生している植物の猛毒のほうが自然界で身を護るために蓄えら得た成分だ~、化学的に人間が許容できるレベルにまで緩和してあげないと(手をかけてあげないと)そこらへんの化学物質より、毒性がかなりつよい事は自然の摂理なのに、ホント『漢方神話』だとかいい加減にして欲しい。
あ、疲れていて体調がすごく悪いけど、家族がここちよく生活できるように縁の下ばっかり専門的にやっているので、ちょっとやっただけで、全部やったかのような、一時的な成果で一生それで食っていけるかのような、そんなそれこそ都合のいい、将来精進しなくなる生き方がなんだか生きることに怠惰というか、他人を甘く見ているというかどこから見下している深層が透けて見えて、ホント胸糞わるいので、もう溜まりに溜まってオーバーフローして吐いてしまいました。すいません。
私も人間です。御母さんで有る前に人間です。人間の前に御母さんでいれるよう頑張っていますが、もともとは私こそ身体が丈夫じゃないので、召使い的な使われ方はすぐ機能不全になるんですね。
は~・・・どこかに真の意味で総合的複合的俯瞰的に英断できる信頼のおける自身も大変ご苦労なさって今も真摯にコツコツしていらっしゃる人と御縁ないかしら???
孤立ママの嘆きでした。。。すいません。またまた続きやります。