今日、当直医の笹本先生でした。先生は穏やかな先生。娘の葛藤などを親として心配だけれど思春期だから小さな時のように直接的に、あるいは力づくで関われない、遠巻きに見守るしかない、等など御話しました。
そうして、娘自身も今仕事を頑張る事が、彼女のアイデンティティの確立というか、そのための種や芽や栄養や、色々、もんどりうって、進んでたじろいで迷って苦しんで、で、時々爆的に混乱して母親に当たり散らす・・・それでも見守るしか無い事も御話しました。
けれども、そのすべてにたいして、先生は変な意見や指導やコメントをすることなく、『それでいいと思います。それがいいんだと思います。とてもよく頑張っているとか無茶するとかそういうことじゃなく、ただただ存在している事が尊いんです。』と。
理論武装というか、要らぬ鎧というか、そのようなものがホロホロとはがれてこぼれおちた瞬間でした・・・
3歳と1歳から。別居を入れるともっと前から二人を育てて来ました。実家に迷惑がかかると思ったので、そうっと実家を出ました。身の周りに起こる事、全て独りで調べて、各機関に相談して、耐え凌いできました。乗り越えて来ました。
見た目には、障害者になってしまったし、無茶な進学をして身体を壊してしまったけれど、それでも私はこの手で子ども達を大人にしたかった。誤解も払拭したかった。偏見に対しても、しっかとした知識や知恵を総動員して、『それは誤解なんだから、大丈夫』と、小さい時は実際に、思春期になってからはこころを、そうしてハグとか、で、抱きしめて来た。
ただただ存在していて欲しい。娘が綺麗な身体で生まれて来て、生死をさまよって、やっと育てて来たけれど、どうにも苦しくて、追い詰められすぎて、自傷してしまって、ケロイド体質だから、いろんな凸凹な身体になって、見た目に醜くなっていったとしても、彼女のこころの素の純粋さは変わって無い。だから、その身体でいい。嘆いていない。あの傷は乗り越えて来た勲章だ、って。
それでも、一般の、サイレントマジョリティの、威圧感というか、そのような風評が怖いと言うか、ステレオタイプの母子家庭に迎合することが生きる道だと、いつの間にか見えない力が働いていました。
それをも、笹本先生の、『存在しているだけでそれだけでいいんです。何をすることもなくてもいいんです。』に、これまでの色んな、書くのも憚るようなとんでもない理不尽な目に遭った事、イジメが長期化した事、社会から疎外された事、理解されなかった事、奇異な目で見られる事が多かった事で、自己肯定なんて寸分も出来なくなっていた自分に、なんというか小さいけれども力強い一筋の光が見えた気がしました。
『今までよく頑張ってこられましたね。いいんですよ。全部それでいいんですよ。』って。
あまりにビックリして、そんな事を言ってくれる医者がいなかったから、(あ、野間先生もいってくださったかな・・・)今、キョトンとしたままフリーズしていますけれど、
こころからありがとうございますと申し上げたいです。感謝です。
画像をちょっと遡っていろいろ見ていました。これら全ては私の断片ですが、こんな事に興味を持ったり、こんな事をしたり、するのが私です。ありのままの私です。
変梃りんでも、ステレオタイプでなくても、お願いですから、苛めないでください。
それこそ、ふつーに絡んで下さい。ただただそれだけなんです。
いつか命が終わるその時までは。