
ミランダが鬱病を告白しファン騒然。全てを手にしていた彼女が窮地に立たされた理由とは
この本文の中に、★「屋根がある場所で寝起きすることができ、私自身と息子が健康で、家族が居てくれる、今日というこの美しい日に感謝します」と、ささやかで当たり前の毎日を尊いと思うようになり、気持ちが上向くように。★とあります。
どれだけ嫌悪感があって、どれだけショックでも、離婚というのは喪失感の塊です。平気な人っているのかなぁ、って思ったりします。
私もそうでした。調停や裁判があり、その間に実家の父の病気や人間関係に苦しみ、私は実家にも居られない、と、小さくて古い団地(窓は木枠でした・・・)に母子三人で布団一枚くらいで実家を出ました。
最初の夜、これからが怖くて、子ども達の命が私ひとりにかかっていると思うと、膝ががくがくして、着いて来てくれた子ども達の私を信頼しているようなその小さな寝息に、本当に決断を申し訳なく思いました。明日が解らない状態でしたから。
先に書いた自殺した従兄と幼い時に親が離婚し辛い経験を持つ友達だけが駆けつけてくれて、御飯食べさせてくれて、服くれて、って。女の子ばかりだったので、息子にはピンクのズボンをはかせるしかなくて、保育園でからかわれた事もあります。そもそも入園面接に同行してくれたのはこの従兄でした。
だから私はしばらくして京都に来て、この従兄を喪った報せを聞きとてもショックで(しかも何のメッセージが私の誕生日に!)まだ立ち直っていないし、御墓参りにも行けていないし、義理の伯父にも逢えていません。従兄が遺した奥さんや子ども達(奇しくも下の息子と向こうの長男が同級生)とも逢えていません。現実として受け容れられていないからだと思います。
加えて、娘や息子の不登校自体は、自分達を護るためであるという理解で全く不安は無かったのですが、周りの無理解が怖かったし、社会に出始めた頃に私に言えない事を娘に言う教員がいて、それが高圧的だったために娘が心を壊してしまった事などなど・・・それが悲し過ぎたのです。
あの団地に入りたての頃、「屋根がある場所で寝起きすることができ、私自身と息子が健康で、家族が居てくれる、今日というこの美しい日に感謝します」と思いました。結婚している時、娘の出産直前に「こんな古くて管理が届いていないような雑草が生い茂る団地は嫌だ」と思ったかつての私を、「本当に私は傲慢だった」と戒めたかったくらいです。
けれど、「屋根がある場所で寝起きすることができ、私自身と息子が健康で、家族が居てくれる、今日というこの美しい日に感謝します」となりました。そうです。大学院に行けなくなり、奨学金が支給されなくなり、当然裁判で決まっても慰謝料も養育費も初回から未払いされていましたから、本当に色々困窮しました。
父の次に駆けつけてくれた従兄が亡くなりました。。。実母と実弟は(特に実母)私がなんだか勝手に出て行ったと決めて全く譲りません。『居づらかった』『肩身が狭かった』という気持ちが私には無いと決めてかかりました。幼いころからの結構なネグレクト。
だからこそ、「屋根がある場所で寝起きすることができ、私自身と息子が健康で、家族が居てくれる、今日というこの美しい日に感謝します」と思ったんだけど、今はこれよりもっと低ラインで(苦笑)、「今日どうにか自傷しなければ、今日どうにか重篤でなければ、もうそれでいい。」となっています。
セレブは悩まない、という勝手なレッテルがあって、だから『あのミランダが鬱?』とギャップが着目されニュースになったんだろうけど、誰しもが強い喪失体験をすると、心が大けがをします。
だからこそ、セレブでない普通の人が、そうなった時は、本当に立ちあがるまで時間がかかります。
それでも諦めないでいられるか、本当に厳しいところなんだと思います。
だから私は、驚かないし、正直、「それでも羨ましい(状況としては恵まれている)ところがたくさんあって早くに復帰出来て良かったね」と半分嫌味に思います。もし、それが長期で障害になったら?セレブが障害になったらもっとギャップが激しくて一般の人は悲鳴をあげるんですか?
ただ、着目される事は悪いことでは無くて、その目線をもってして、住んでいる近隣の苦しんでいるけれども言い出せない人に、それとなくなんとなく気付かれなくても救いの何かをさり気無くしていただけたら、本人のアイデンティティも傷つけずにいられると思うんです。。。
ホント、そう思います。。。
瞑想。メディテーション。。。知ってますよ???私は二子いたし、セレブではないので、瞑想する時間は当時ありませんでした。。。
それが何か???(苦笑)←私、本当に嫌なヤツだ~☆