電車のホームで遂に諦めました。
今日は昨日の臨時練習に引き続き呉竹ホールに場所を移してのコーラスグループ毎の練習でした。
諦めるのは辛かった…
でも昨年ついに『そうだ
声楽だ
』と探し当ててから、それまでの長年の抑圧と、
人生をかけた研究者への夢を断った傷とから、
明らかなオーバーワーク。
間に特に娘の不安定さから来る(思春期など多感な時期に精神疾患に罹患してしまう事はよく知られています)救急ごとが不定期ながらもまだあって。
『お母さんを医学的にも一旦休みませんか?』と入院も選択肢に入れる私の治療方針が示された矢先の土曜日の娘の救急。
こころがどっしりありたいと歌に体力強化を求めようと、まだやってしまいそうでした。
個人レッスンの先生につい吐露してしまったら、
『そりゃお母さんしかこどもさんにとっては言葉通りお母さんはいませんものね。
声楽的にも身体も心も休める期間を敢えて意識して設けた方が良い場合もありますから、
遠慮しないでお休みしてね。』とも言って貰ったのが御守りになっています。
駅員さんにも『お大事に』と返金していただきました。
帰りのふらつき度合いを客観視すると、
同じ京都市とはいえ、南の端の区に行って、
私の事だから加減出来ずに歌ってしまったら、
いまフォローを必要とする娘をかえって不安にさせていたであろうと客観視できて、
ゾッとしたと同時に引き返して良かったと思いました。
私はあの電動車椅子のオジサンのようなんだと思います。
人様の手を限りなく煩わさないように、
とキツく育てられたので、
限界を超えそうな時でさえ独りでどうにかしようとする癖がついています。
けれど最近はやさしく接してくださる人が増えて来たように思います。
もし、障害者手帳を持っている事を目の当たりにしても、ビックリするかもしれないけれど、
出来ればドン引きしたり、
嫌悪したり、
疎外したり、
必要以上に緊張して肩に力入れた特別扱いというか、
知識の無い偏った思い込みによる乱暴で極端な対応はしないで下さいね。
今生に居場所が無くなってしまいます。
カタツムリさんよりゆっくりかもしれないけれど、
必ず改善はしていますし、
その努力はいきなり上手くはいかないだけで、
決して怠っているわけではないので、
どうか、
『時間』や『やり直す』や『別の何か工夫を考える』というチャンスを下さい。
どうかお願いです



