お向かいの方からいただきました。
超有名、ボローニャのパンでつ。
恥ずかしながらいただいたことがありまてん。
今日は早朝、久しぶりに激しい発作が起きまして、
何もかも出来なくて子どもたちやマロンに申し訳ないやら、
自分の体が本当に情けないやら、
宗教曲を歌い続けているけど、
実生活で神様はどうしてこのような厳しい理不尽な事ばかりを、
な人生でした。
でもだからこそ、例えばお向かいさんのように時々差し入れて下さったり、
二件向こうのおばさまは『自治会の当番も引き受けなくていいのよ。昔私も精神的に辛い時あったの。今でいう鬱だったと思うわ。』って、
つい自責する私を【それでいい、そうでいい。大丈夫。】って。
あ、無理をおしてかなりフラフラしながらお薬、娘の分をいただきにあがったかかりつけ医受付のEさん。
同じく娘さんが大変で会えるときは詳しく言わずとも、ですが、
今日は特に、見た目に分かりやすくつらそうだったのか、
『大丈夫。ちゃんとお話できてるよ。しんどいやろけど、きっと大丈夫。』って、
なんと手を握ってくれました(詳しくは上から重ねて添えてくれました)。
じんわりして、はずかしくて、涙がでそうでしたが、小さいお友達がいたので我慢しました。
事実として、私は実母にどれだけ大変でもスキンシップを取ってもらった事が無いので、
本当に気恥ずかしくも、凝り固まったり気負いまくったり緊張が極限の心が、
やわらかく氷解していくように思えました。
これらのような体験に導いてくださったのだとしたら、
『やっぱり神様はいるのかもしれないなあ』とか思ったりします。
激しい発作に対応した薬のせいで、
もしかしたら、また乱文です。
ごめんなさい。
私の人生はクラシック(の楽譜)のように揺れながら進むのかもしれません。
だから音楽のみならず古典芸術と人生後半に来て、
ご縁があるのかもしれないな~、って思います。
今日はこれが精一杯です。
休みます。
ごめんなさい。