”【書籍】発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由〈栗原類〉” | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~


 

この記事を読んで、御母さんまでも心理検査をする、というところまでは良かったのですが、

 

やっぱり、だからこそ、PMSのせいにする(事実だけど)事や、自分の中で揺れる事は、同じ特徴因子を強く持つ子育てには適さないと再学習しました。

 

私の実母は、本当に一貫しています。それはもしかすると、今の診断からすると、『かなりの拘り』と映るかもしれませんが、それで良かったのかもしれません。

 

御蔭さまで、私は一般人として、長く生きました。

 

でも、でも、でもね、ちょっと待って欲しいです、という気持ちも芽生えて来ました。

 

メディアに出て、ちょっと有名人になったから、知るんですか?

 

それは健常の人、つまり通常発達で困っていなかった人に対してのアプローチで、

 

因子があって発症していてそれでずっと苦しんで居た人なら、

 

類君に言われなくても、うんとこさ、努力して来ませんでしたか???

 

人間と言うもの、特に通常発達という枠組みの中の人は勝手なモノで、

 

有名人でイメージが良い人が言ったら好意的に受け取り、そうでない場合、ほんの些細な事で掌を返し、ないこと無い事をねつ造して、そうして嫌悪感を増幅するような語彙をつかって、

 

障害者を巧みな大変トリッキーな一見論理的に映る書き口で内的に疎外して行きます。

 

そのような事をいくらも見て来ました。

 

私は、医師免許はないけれど、当事者として、自分の事が書いてあるカルテが理解出来ない人間でありたくなかったので、ずっと読ませていただいています。息子の分も娘の分もそうです。

 

けれど現実は、医師の言葉だとすんなり受け容れて、いきなり行動が変わった人がいる一方で、権威的に映る人達への羨望と嫉妬から極端に信用しない人で人口の殆どを占めるんじゃないか、とさえ思うような反応でした。

 

☆どこからが異常とされる拘りで、どこからが一貫性なのか☆

 

を明確にして示して欲しいです。

 

※そうそう、心理検査が難しい娘(人間不信から主治医を拒否していた)の代わりに養育者が代弁できるとのことでやってみたのですが、

 

①まず問診の日本語が日本語として成立していない設問が多かった。

②選択肢も選択したい回答が漏れているモノが多く答えようが無かった。

 

・・・に尽きました。

 

私は娘の事でその検査結果が大きく人生を左右する分岐点になる可能性が高い事を考えると主治医に正直な感想を言わずにはいられませんでした。

 

 

すると京都大学の准教授がですよ?(今は別の職場に行かれました。)

 

『確かに、心理系の英語を、単に日本語に直訳しているだけの設問なので、読み解き難いとは思います。』とおっしゃいました。

 

『それでも今、最先端の心理検査はこれしかないんです。他の日本語訳もフォーマットも出回っていません。これが基準になっています。』とも。

 

ただただ、(へ? そんな信憑性の低い検査で娘の事を決められてしまうの!?)と思いましたが、自治体や学校関係などなど、医療機関の結果、特に資格を持つ医師の診断で動くので、しぶしぶ書きました。

 

全く近似できるものではありませんでした。

 

※※有名な話に、東京大学の入試速報の番組で、国語の問題で小林秀雄氏の問題が出題され、それに対する模範解答を予備校がテレビで生放送していた時、ご本人からクレームの電話があった、というものがあります。

 

私は、その件もしっているので、『何をもって正しい(ここで言うのは唯一の正解のこと)というのだろう?』というのはいつも頭の端にあるので、むしろ社会が神経質すぎるのではないか、と考える時もあります。

 

それだけ、熱心な親御さんばかりだとしたら、どうして、公共交通機関や、療育施設や送り迎えなどなどに、実の親御さんの姿を見受ける事が少ないのでしょう???

 

だから年頃の息子と一緒に行動しているだけで、珍しくてじろじろ見られます。本人は『僕がオカシイから見られているの?』とそれこそ人間不信になります。

 

当たり前は当り前じゃない、を本当に思うのなら、珍しいと思ってもそれは自分にとって珍しいだけで、なんら当事者には見た人の価値観なんぞ関係ない!!!特に無知な人のそれは邪魔だ!!

 

と申し上げたいです。

 

類君やさしいから、書かないでしょ、そう言う事。

 

なんだか・・・変だと思う。知ろうとするフツーとか健常とか通常発達とかいわれる人。

 

そうです、これらの経験から、私や子ども達はアスペルガー症候群かつ社会不安障害です。

 

それがなにか!?

 

節度のある人の中には入れますよ??? だから合唱団でも、通院でも、続きますよ???

 

ガールズトークという掲示板でも、なにかあると、すぐアスペとかいうけど、そもそもアスペルガー症候群を略すことからして大変無礼である事にも気付いていないし、そういって略す人が平均100のIQだとすると私は160ちかくあるので、

 

どのタイミングでどんな状況で、どんな言葉を言ってよくて、言わない方がよくて、という判断は出来て実行出来て来ました!!!

 

どっちがKYだよ!!!! これ、いつも主治医に悩みとして吐露しています。

 

通院して努力して医学書も薬学書も看護学書も心理学書もい~ぱい読んで、それで練習に、と、実践出来ないのは、教科書に書いていある程、一般の、フツーの、通常発達の人の精度が高くないからです(書いちゃった☆)

 

『先生、ソーシャルスキルを上げる事と、世間に迎合する事は独立(事象)だと思いますが、当の世間が混同していたり、このように言語で医師と専門的にまでコミュニケーションを日々取っていないのだとしたら、実質患者の方がスキルが上がってしまっているという、なんだか逆転現象が起こっていないでしょうか?そうしてそれが露呈されると、怒りにまかせて暴言や暴挙に走るのは、健常や通常発達という”寝耳に水”を起こしてしまった人ではないでしょうか?10年以上観察してきましたが、変わらないように思います。いかがでしょう?』って。

 

そのたびに先生は苦笑いされるしかないようです・・・。

 

日本は文化的に、精神疾患をなかなか理解できないように思います・・・

 

思考を想い巡らせる場所として歩いた道が今、哲学の道として有名になった西田幾多郎先生も、生前本当に大変な人生を送られて来られて(書籍拝読しました)、正気なのかそうでないのかもはやそれを考える暇さえなかった程、熱く苦難の人生を生きられました。

 

西田幾多郎先生は賞賛されて、そうでない学者とか権威的だったり、有名人だったり、メディアに出る職ではなかった人は、オカシイ、と、語り継がれて言ってしまうのでしょうか?

 

一般、フツー、健常の人は、いったい何に心を奪われていて、何で線を引いて、人を雲泥の差のごとく分けて、それを実行する人生のしているのですか???

 

私はそちらの方が余程気になります。

 

だって、類君チームのような人、本にならないうちから、粛々と毎日、もうやってますよ。

 

彼の本を読んで初めて知った人が関心なかっただけで。そうして今もなお読まない人は、一生関係が無いと思っているのでは??

 

精神科では認知症も診ますよ??? 本当に関係ないのですか???

 

私は、怠惰や現実や将来を見ない言い訳として、一般やフツーや通常発達といったり、興味無かったり、実体験が無い、とか言っている気がしてならないです。

 

その感覚の方がよっぽど怖いです。

 

鈍感力、ではなく、ただ鈍感なだけです。センサーの欠如です。欠損です。

 

もし、そうでない、とするなら、一体、どっちに、鬱病などの疾患名をつけるのが真実なんでしょうかね???

 

あ、、、ダメだ、、、、情動発動してしまった、、、、ちょっとリラックスします、、、

 

嫌い、というか、悲し過ぎるんです。芸能人のカミングアウトを待たないと理解できない人も、物で釣られている人のようで・・・確かに人間は愚かです。そんなに賢くもありません。虚勢を張る人や豪語する人、私も苦手です。

 

でもでもでも、粛々と、努力している人も皆にみられていないだけでごまんといて、日本時間でいうこんな連休の深夜でも、「このほうがはかどる」と、研究室の電気がついています。図書館も24時間運営しています。

 

病院でも命と闘っている人がいます。今、確かに。

 

なんだか・・・早く良くなりたいと焦るのは、早く元気になって、粛々仲間になりたいんだと思います。なんだか療養が怠惰に思えてしまうんです。。。

 

でも、無理しも無理しても無理しても、もしかして、10年20年して30年して、なんの成果も無かったとしたら・・・

 

こんな私の人生に、時間と言う命をいただいて、本当に申し訳ないと思ってしまうのです。。。

 

これは『焦り』という言葉で表現する感情や想いなのでしょうか・・・まだまだ勉強も解析も足りない。。。

 

足りないのは解っています。もともと足りるとも思っていません。でもいくらなんでも足りなさ過ぎる気がするんです。。。

 

もしかして本当に神様がいるのなら、水が高い所から下に流れる・・・あ、これは物理か。えっと・・・密なところから疎に・・・あ、これも物理か。物の理・・・じゃ、なんだか神様と乖離しているような気がする・・・

 

う~ん・・・物理のもっともっともっと向こうの何か・・・がうまく調停してくれる事を願います。

 

(それもまだ証明されていない物理だったらどうしよう・・・どうしようもできないか・・・そりゃそーだ☆)

 

というわけで、今日も長く書きました。 私にとってはそれこそ普通と言うか、論文を書いていた頃を振り返ると「何?レポートにもならないじゃん。メモ?」みたいなもんです。

 

御許しください。(速読で読んでサラッと忘れてね!)