高校一年生の時の同窓会の御誘いが来たようです、実家に。
皆がやっとつかんだ情報は、20年近く前のもの。
もう実家にも寄りつかず、京都に居る事は誰も知りません。
一生懸命一年間わき目もふらず勉強して、入学した進学校。
それでも二番手くらいの学校だったから、自由な校風で。
今回の幹事ちゃんたちも、小学校からの知り合いとか、
クラスでのなんというかグループの枠にはまらない、
本当にすべからく平坦に仲良いクラスでした。
・・・正直悩んでいます。
こうなっている現況を知られるのが怖いのです。
心身壊して長くて、そんな自分が恥ずかしいのです。
なんだか申し訳ないのです。
おそらく、そんな事など気にせず、あの日のようにしてくれると思います。
それならそれでなんだか申し訳ないんです。
なんだか、本当に複雑な環境です。
奇しくも、当日は、寝屋川市民大学で合唱するオファーがあります。
まあ、たくさん行くみたいなので、ひとりくらいソプラノが抜けても何にも問題ないし、
個人的には、教会で歌う事や、年末のキャロリング(慰問)の方が重要視しています。
それでも、なんだか躊躇しています。。。
やっぱり鬱なんでしょうかね。。。
実家から転送されてきた、かつての仲良しの幹事ちゃんでさえ、
公共料金のお知らせでさえ、
郵送物が怖いのです。
私が起点ではないからだと思います。
今は受け身が取れないんです。
どれだけ簡単な依頼もとても負担なんです。
さっき、素晴らしい事に、可燃ごみ出せました。
出さなくちゃ、って、緊張して、結局眠れなかったんです。
そんな状態になっています。
それも含めて主治医に相談して来ます。
クラス会だから、集まって、まあ半分としても、20人集まったら・・・
相手の起点で相手の設定で逢う20人・・・
倒れるだろな・・・それを思ったら大阪梅田に行けないだろうな・・・緊張で。
女性は夜出るのは難しいだろう、との配慮で、お昼なんだ、って。
その配慮の価値観もなんだかしんどくて。
それじゃあ、土曜日の18時からの合唱の練習は、夜出歩いている不良のような行為???
ん~・・・・混乱しています・・・
こんな時は、レクイエム聴くと落ち着く事を思い出しました。
デュリュフレを聴いて定期演奏会や、初めて合唱団のドアをたたいた時を思い出しました。
今はラターのレクイエムです。
いずれにしても、『PIE SU』を美しく歌えるようになりたいです。。。
家庭があるから夜、35年振りの同窓会にも行けない、という制約が、
私には息苦しい価値観です。
結構若いというか新進的で、自由な校風の学校だったと思っていたけど、
婚姻状態という枠にハマると、やっぱり典型的な国がイメージさせる役割依存ありき、
なんでしょうか・・・
というわけで、混乱しているんです。
海溝の光の届かない処にこうして、レクイエムという光をあてて、
自分の深層をどうにか砂粒のような、あるいは原子のような、
光に反応する、微細な自分の内側を今は見つめたいんです。。。