この部分を歌えるなんて本当に幸せなんです。
天候と相俟っているのか、子ども達も不安定で、それが感情にいきなり影響があって、私はそれを母として受ける一方なので、ダウンしてしまいます。
この部分の歌詞に縋りたい気持ちも往々にしてあります。
それこそ若い頃は周りの無理解なんて置いておいて、信じた道をただひたすら貫きました。
直感で動くのではなく、それこそ勤勉に研究されている先人のみなさんの論文をいくつも読破し、子ども達が寝た後ずっと勉学していました。
もちろん実際に自分の子どもが通園通学していますから、それらの周りも臨床として見守りながら。
けれど、ある時、思考はとても精度が良く速かったのですが、それに自分自身の肉体がついていけなくなりました。
研究仲間が心配し、医学部にすぐ行くようにと言ってくれました。
本当のきっかけは、素養が遺伝している可能性があると思っていた子どもを、学校での酷いイジメから護るために、と、児童精神科に意見を貰いに行ったのですが、
手続きや実際の行動など、少し落ち着いてきたから、私も、と調べてもらったら、子ども達より強い発達障害がある事が解りました。
IQが高いと、それを努力でカバーするのだそうです。ひとさまより時間がかかっても、いつまでもいつまでも、特徴の過集中を使って、子どもの時から、徹夜は当たり前で努力する毎日でした。
医師の診断という、ある意味社会的に明確にされる日がきて、『やっぱりか』と個人的には安堵はしたものの、これで一般の知識の無い人からは真のレッテルが貼られるかと思うと、
安堵とどん底に陥った感覚が一度にバインドとして入ったのを覚えています。
わずかな期待もしなくなりました。あの時、夢なんて、消えました。
加齢でふんばりがきかなくなって、もともと偏見が強い昔の価値観の親族ですから、支援もなく、奔走してくれることもない、という状況の中では、
ついに、周りの理解をただただずっと待つ方向性にシフトさせる、という最大の譲歩をしなければならなくなりました。
もっと俯瞰している国の部署や、その具体的な対策ももちろん調査済みですが、それをこれまた周りに理解してもらうのは、やっぱり生きているうちは無理かもしれないなあ、とも思います。
たまに、ガールズトークとか、アメブロの見出しから辿って、テルミーとかみていても、『未だにこれほどの多くの人がこのような思考のところに住んで居るのか・・・』と絶望します。
そのような中、山中先生が類稀なる若いうちに賞を獲られた事は、慣例上本当に驚きでした。
物理学賞に至っては、助手(今でいう助教)の頃、20代の終わりに閃いて努力していたこと、が論理的に証明されていたとしても、それを調べる機器の開発が50年以上かかってしまうために、
それらを解っている学者のみなさまは、『まさかノーベル賞が生きているうちに貰えるとは思わなかった』とおっしゃいます。
この文言を紹介しても、イメージとして科学者が特別扱いされているから信憑性が高く、一般の皆さんは耳を貸して下さいます。
でも、あの、バッハですら、死後にある時ひょんな事から見つけられた事を知っている人は殆どいません。
『このような素晴らしいものが埋もれていただなんてそんな音楽会に不幸な事があってはならない』と今のようになっていきました。
私はただの一個人です。他にも、ノーベル賞候補じゃないから、バッハのようじゃないから、有名人じゃないたくさんの自分の疾患と向き合っている、自分の疾患を持ちながら親の役割をしようと努力している、特にシングルの親御さん、たくさんいるんだと思うんです。
お願いですから、そのような人達が、潜在下にたくさん存在している事を、そのうち、一瞬でいいので、思ってはいただけませんでしょうか。
それでも、それでも、特に何かをしていただきたい、というのではありません。
ただただ、理解していただきたいのです。事実を知って欲しいのです。偏見無く。つまりは、これまでの、悪意に満ちた修飾語がついた価値観ではなく、という意味で。
あ、ゲリラ豪雨のようになってきました。
娘が心配です。しっかり御風呂に入れてあげたいと思います。
そうして、課題は・・・この古い民家(借家です)の雨漏り。
家主さんは不景気だからと、取り合ってくれません。。。
着地点、変なところに行きました。。。。
あ、今、変圧が酷かったです。PC壊れないうちにアップできたらいいな・・・・