(お借りしました)
(またお借りしました)
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今日は40番以外にも、36b、dなど、エヴァンゲリストからの入りを練習したんですけど、あまりに音楽指導が厳しいものだったので(ドイツ語が日本語のカタカナにしか聴こえない!!と何度も何度も繰り返しました。)、
力が入ってしまい、何度目かに、自分の声が上ずって聴こえました。
ガーン・・・(T▽T;)☆ 微細にかすれ気味に上ずったんです、たぶん。(150人フォルテだからなかなか聴き取れなかったけど)
アカン!!!
って思いましたね、咄嗟に。
『いくら高揚するシチュエーションの曲でも、メインや有名なコラールでも、上ずっているようじゃダメだ。ハートは熱くても、頭脳はやっぱりどこかしら冷静でないと。』と、美輪明宏さんの言葉を思い出しました。北村先生も別の言葉ですが、「感動を伝えられるだけの技術修得!」とか仰います。ここでこそ、そうならなくちゃ、って思いました。
八部で大合唱で、何度も反復するので、次から少し冷静になるよう心掛けました。するとたぶんさっき上ずった声が落ち着きました。当てたい所、響かせたい所、持って行きたい所に、修正できつつありました。ちょこっと安堵。修正できた、という意味で。
何事もそうですが、うまく行っている時よりも、なにかトラブルがあった時の修復力というか、咄嗟の臨機応変な対応が出来る力が備わりたい人なので(そうして生きて来ました)、今回はたかだか合唱の練習かもしれませんが、指揮がゲキを飛ばしたあれだけの群衆が熱くなっている状態の中での軌道修正は、自分の中で『感覚が戻ってきた』という感じでした。
研究生活をしていても、指導教官に『なんでもっとど真ん中、中心にどっぷりハマらんねん!』と言われた事がたびたびありますが、もう若くもないし、守るものがあるし(子ども達)、そんな独身の若い子のように、取り返しがつかない没入は危険だと本能というか経験が察知していたのだと思います。たとえ相手が指導教官でも、親より誰より師匠であっても、一定のパーソナルスペースを取る私でした(だから学位審査に行けなかったのかな?苦笑)
熱すぎると他の角度から何か危険や注意を払わないとイケない時に気付くのが遅くなるんですよ、一瞬ですが、その一瞬が命取りになるんですよ、特に小さい子の場合、激変しますから。これ、たぶん、御母さんとしての経験則だと思います。
てなもんで、合唱どっぷりになりそうな(歌っている時は集中していますよ、そりゃ。)度合いに生活が成って来ていまして、本音ではちょっと懸念事項だったんだと思います。まだ言語化出来ない意識だったんでしょうけど。
それだからこそ、熱い、佳境に入った練習中に、気付いて修正が出来たというのは、収穫だと思いました。
大反省からの、大収穫。
これ、ちょっとブログに書いておこうと思いました、はい。
じがじさ~ん(●´σД`●)ゞ エヘヘ♪